NO COAST JAZZ (ROULETTE)

JOHN HANDY (1960)

NO COAST JAZZ


【パーソネル】

JOHN HANDY (as,ts) DON FRIEDMAN (p)
BILL LEE (b) LEX HUMPHRIES (ds)
【収録曲】

(01-03) TO RANDY / TALES OF PARADISE / BOO'S UPS AND DOWNS
(04-06) HI NUMBER / PRETTYSIDE AVENUE / NO COAST
【解説】 ( 2014年08月17日更新 / 連載 1,133回 )

 子供には2つのタイプがあります。すくすく育つ子と、育たないタイプ。 すくすく育ってスクール水着好きになる人がいるかと思えば、すくすく育たずに宿儺南瓜 (すくなかぼちゃ) 好きになっちゃう例も少なくはありません。 この場合、どっちがいいとも言えなくて、どっちもどっち。そんな気がしないでもないんですが、どっちと言えばドッジボールが得意な子もいれば、ドッジラインが好きな子もいますよね。 1949年3月7日に日本経済の自立と安定とのために実施された財政金融引き締め政策、GHQ経済顧問として来日したデトロイト銀行頭取のジョゼフ・ドッジが立案、勧告、LOVE♪ …って、こんなものの何処に好きになれる要素があるのか、僕にはまったく理解出来ないんですが、ちなみにドッジボールの “ドッジ” はデトロイト銀行頭取とは何の関係もなくて、 「身をかわす」 という意味らしいですな。 僕はドッジボールが大の苦手で、ボールをぜんぜん取ることが出来なくて、ひらひらと身をかわして逃げ回ってばかりいたんですが、ある意味 「ドッジの鬼」 。 そう呼んでいいかも知れません。 逃げ回る自分にちょっぴり嫌悪感を抱いていたんですが、何も卑屈になることはなかったんや! で、何の話でしたっけ? えーと、宿儺南瓜 (すくなかぼちゃ) っすか。 そんなカボチャ、知らん。 そんな人も少なくないと思うんですが、僕も何となく名前を聞いたことがあるというだけで、その実態はよく分からなかったりします。 で、調べてみました。 ほれ 。 ほぉ、カボチャらしくない形をしているんですな。 何だかウリみたいっす。 ま、カボチャもウリには違いないんですが、切ると普通にカボチャっぽくて、ちょっと笑えます。 で、これ、飛騨地方の特産なんですな。 秋旅の行き先は下呂温泉と高山にしようか。 そんなプランを考えたりしていたので、それでどこかで目にしたのかも知れません。

 ちなみに秋旅の日程は「体育の日」の3連休の予定。 栂池自然園の紅葉 が見頃っぽいので、それを見に行こうと思って 栂池高原ホテル を押さえたんですが、で、もう一泊はどうしようかと。 その頃には某中学校の太陽光発電設備の工事も終わっているものと踏んで、金曜日に有給休暇を取って、自主的に4連休にしちゃおうと思うんですが、奥飛騨温泉郷あたりがいいっすかね? で、適当にその辺りの観光情報を調べていたところ、10月9〜10日に 秋の高山祭 があることが判明したんですが、おお、いいぢゃん♪ 一度、見てみたいと思っていたんですよね。 指南車 とか、あるんっすよね? 指南車とは、字義のごとく 「南の方角を指す車」 のことである。車がいかなる方向に向きをかえても車の上に立つ仙人像の手は常に南を指している車である…って、凄ぇぇぇぇ! 地磁気とかを感知するのかと思ったら、そうではなく、遊星歯車とかを用いたメカニックな機構であるようですが、このタイプの指南車にはひとつ、重大な欠点があったりします。 最初に適当に 「北北西」 とかに向けて置いちゃうと、指南車にはならずに 「指北北西車」 とかになっちゃうんですよね。 事前に正確な南の方向を調べておく必要があるんですが、そういう時は 「魅せられて」 を活用すると便利。 ジュディ・オングが見ている方向。 それが南に向いた窓です。 ういんど・いず・ぶろーいんぐ・ふろむ・えーいじあん、女は海〜♪ 果たして飛騨高山から海が見えるのか、甚だ疑問ではあるんですが、見えたとしても北に向いた窓から日本海を眺めるほうが、距離的には近いような気もするしぃ。 とまあそんなこんなで奥飛騨温泉郷はヤメにして、下呂温泉に泊まることにしようかと思うんですが、下呂まで車で行って、宿の駐車場に止めさせて貰って、JRで高山に移動。 そういうプランがいいんじゃないかと思うんですよね。 今回、行程の都合で下呂でランチを食べる機会は無さそうなんですが、本題に戻るまでにまだ余裕はありそうなので、食べ物関係を軽く押さえておくことにしましょう。

 G-グルメ 。 さすがに 「ゲログルメ」 ではイメージが悪いと思ったのか、ちょっとだけ捻ってきましたが、サイトキャラは げろぐるくん でありますか。 ご当地グルメとして最も正統的なものと言えば、 ケイチャン ということになろうかと。 キャンディーズはスーちゃん派、ピンクレディはミーちゃん派だった僕ですが、ケイチャンは嫌いではなく、というか、むしろ大好物。 美味しいっすよね、あれ。 僕が泊まる予定の宿は 「ゲロゲロゲロっと鳴くカエル〜♪」 でお馴染みの小川屋ではなく、 望川館 というところなんですが、 うわさの鶏ちゃんせんべい 。 おお、いいかも知れません。 大分に行った時は 謎のとり天せんべい というのを買ったんですが、なかなかイケましたからね。 で、その他のグルメとしては、 ここ の 「下呂牛乳ラーメン」 とか。 アカン。これは、アカン。 小学生の頃、風邪を引いているのに学校に行かされて、オカンから 「給食を食べたらアカンで!」 と言われたんですが無視して「中華そば」 を食べて牛乳を飲んで、で、家に帰って布団で寝ていたら気持ち悪くなってゲロを吐いて、おかげで給食を食べたことがバレた。 そんな酸っぱい記憶がある僕としては、これはアカン。 今にして思えば給食の 「中華そば」 なんて、麺が伸びきっていて美味くもなんともないのに、どうして無理してまで食おうとしたんですかね? 子供の考えることは今ひとつよく分からんのですが、そもそも 「下呂牛乳」 というネーミング自体が間違っているような…? ちなみに下呂の近くには中呂と上呂という地名もあったりするんですが、中呂中露合同軍事演習とか、上呂如雨露 (じょうろ) とか、そんなものはありません。

 何でもいいけど如雨露( ← じょうろ。草花に水をやる道具) って、こんな字を書くんですな。 雨露の如しって、何て風流な! 語源は 「水の噴出」 を意味するポルトガル語の “jorro” だと言われているようですが、この音にこの字を当てるセンスに脱帽、レーザーで毛を焼くという発想に脱毛、生乳や牛乳または特別牛乳の乳脂肪分を脱脂。

      はに丸 「はにゃ〜」
      ひんべえ 「ふにゃ〜」
      脱 脂 「粉乳〜」

 ということで、そろそろ本題に入ろうかと思うんですが、子供には2つのタイプがあります。すくすく育つ子と、育たない子。 この違いはどこから生じるのか。 生まれつきの先天的なものなのか、あるいは環境による後天的な要素が強いのか。 そういう問題をですね、これから考えてみたいと思っているんですけどね。 何故そのようなテーマを取り上げようと思ったのかというと、きっかけは2つあるんですが、まずはNHKの 「夏休み 子ども科学電話相談」 。 今は高校野球が始まったので放送がありませんが、夏休みの終盤にまた復活するのではなかろうかと。 幼稚っぽい園児とかが出てくると、聞いてるこっちのほうがハラハラしちゃうんですが、小4〜小6くらいの女子児童はかなりしっかりしているので、すっかり安心モード。 男は6年生になってもアホっぽいヤツとか、結構いたりするんですけどね。 で、この電話相談は、野鳥、昆虫、植物、天文・宇宙、魚・動物、科学一般、心と体&いのちとテーマが分かれているんですが、中で 「植物」 というジャンルは今ひとつ人気が薄かったりします。 地味ですからね、植物。 ただ植わっているだけの物だったりするしぃ。 甲南大学の田中修センセイの関西弁な回答は、なかなか分かりやすかったりするんですけどね。 で、今年、僕が聞いた質問の回答は違うセンセイだったかも知れませんが、 「つる植物」 がどうたらこうたらという、そういうお話。 あまり詳しくは覚えていないんですが、植物には2つのタイプがあるんだそうですね。 自分の力だけで立派に自立することが出来る子と、他人に頼りっきりで自分だけでは何も出来ない子。 「つる植物」 というのが後者のタイプなんですが、詳しくは Wikipedia 参照。 ほぉ、なるほど。 自立するには太い幹やら、丈夫な茎やらを自力で調達しなければならないんですが、つる植物の場合、体を支えてくれるのは他人様なので、ヒョロヒョロでも大丈夫なワケですな。 養分やらパワーを 「伸び方向」 に使うことに専念出来るので、あっという間に蔓延っちゃうんですな。 合理的というか、うまいこと考えましたなぁ。 そう感心すると同時に、何だかずるい、セコイ、やり口が汚い。 そんなイメージを持ってしまうんですが、「君はどっちの生き方が好きかな?」 回答者のセンセイは小学校低学年の児童を相手にそんな逆質問をして、「うーん…」 と固まらせておりましたな。 もはや 「こども科学」 ではなく、 「オトナ哲学」 の世界ですよね。

 で、もうひとつのきっかけはというと、某中学校の中庭。 そこには南に向いた窓に沿ってゴーヤの苗が植えられていたんですが、南に向いてる窓を開け〜、ひとりで見ている、瓜の色〜♪ 女子中学生がそんな感慨に浸れるようにという意図して設置されたものではなく、いわゆるグリーンカーテンというやつ。 日よけっすな。 窓の上からネットを吊して、下のほうにゴーヤの植えたプランターを置いておくと、勝手に蔓延って緑のカーテンが出来ちゃうという、そういうアレです。 直射日光が当たらなくて、窓際の生徒も気持ちよくお昼寝することが出来ます。 ゴーヤ、よい子だ、ねんねしな〜♪ そういうつもりだったんでしょうが、今年の夏はちょっと状況が変わっちゃいました。 太陽光発電と空調設備の工事で仮設足場を組むから、ゴーヤをどかせ! そんな鬼のような事を言い出す悪徳業者のクソ監督、颯爽と登場! おかげで、せっかくのグリーンカーテンの面積が半減するという憂き目を見ることになるんですが、ま、クソ監督は申し訳ないとも遺憾の意だとも、何とも思ってないみたいなんですけど。 エアコン付けてやるんだから、いいぢゃん! …みたいな。 ま、そのエアコンも夏の間の稼働は難しいっぽいんですけどね。 で、先日、中庭の下のほうで作業に勤しむ人々を監督する機会があって、暇だったのでゴーヤの生育具合を観察してたりしたんですけどね。 で、ついでに写真なんかも撮ってみたりしたんですけどね。 その成果がこちら。

すくすくゴーヤ(後方) すくすかないゴーヤ(前方)

 すくすくと育っておりますなぁ。 手前と奥、2列にゴーヤのプランターが並べられているんですが、張られたネットに近い奥のほうのゴーヤは3mくらいの高さまで繁茂しております。 手前の子たちもも本来なら同じような環境で伸び伸びと育てられる筈だったんですが、無慈悲な足場屋のおかげで強制的にこの場所に移動させられて、結果、絡めるものが何もなくて、まったく伸びられず仕舞い。 右側の写真はその可哀想な子たちをアップで捉えたものです。 すくすく育つ子と、育たない子。 この違いはどこから生じるのか。 生まれつきの先天的なものなのか、あるいは環境による後天的な要素が強いのか。 その答えは明白ですよね。 本来なら凄く伸びるポテンシャルがあるにも関わらず、環境に恵まれないと、まったく成長できないまま終わってしまうワケです。 が、人生…というか、草生で大成するか、グレちゃうかは、100%環境だけで決まるのかというと、そうとも言えません。 例えばこれとまったく同じ環境にセイタカアワダチソウが置かれたとすれば、彼ならすくすくと立派な背高に育つに違いありません。 他人に頼って、つるを絡めるだけで楽に生きていこう。 ゴーヤ一族がそんな安易な生き方を選択したばかりに、ちょっと環境に恵まれなれないくらいで、すぐにグレる体質になっちゃったんですよね。 ま、そういう道を選んだのは先祖の責任なので、本人…というか、本草にその罪を負わせるには酷なような気もするんですが、生まれつきの先天的なものも、環境による後天的な要素も、どちらの同じように重要なファクターであるな。 そういう、当たり障りのない結論でよろしいですかね???

 が、賢くて注意深い僕は、もっと奥の深い事実に気付きました。 絡めるものがなくて、すくすく育つことが出来なかったゴーヤは、そのまま寂しく枯死しちゃうのかと思ったら、さにあらず。 普通に花を咲かせていたりするんですよね。 ちょっと見にくいかも知れませんが、右の写真に黄色い花が写っております。 でも、ちょっと見にくいかも知れないレベルじゃん。 ぜんぜん地味で、やっぱ駄目じゃん。 そう思われるかも知れませんが、奥の伸び伸びと成長しているほうも、花の付き具合は同じくらい。 これなら、わざわざ無理して、つたを絡めて蔓延る必要もないような? よくよく考えたら、自然の状態で何も絡まる物がないというのは、イコール、生存共存上でライバルになる植物がいないという事ですからね。 地べたに這っていようが寝転がっていようが、普通に太陽はサンサンと降り注ぐので、何の苦労もありません。 で、左側の写真をもう一度よく見て貰いたいんですが、手前側のプランターのゴーヤ。 確かに人間様がセットしたネットまでの距離は遠いんですが、後ろに伸びているゴーヤになら、わりと簡単に絡めそうな位置にはありますよね。 にも関わらず、敢えて 「つる」 を伸ばそうとしないのは、やはり同じゴーヤ仲間同士だからなんでしょうか? 無理にすくすくと育ったりすれば、奥のゴーヤに日が当たらなくなって、そっちのほうは枯れちゃいそうですもんね。 お兄ちゃんのほうは親が頑張って大学まで行かせたんだけど、そこで資産が尽きてしまって、下の子は中卒で就職を余儀なくされてしまった。 でもいいの! お兄ちゃんさえ頑張って立派なオトナになってくれたら、つる子、それで嬉しい♪ そんな健気な妹を見ているようで、何だか手前の貧弱なゴーヤが急に愛しく思えて来ました。 ネットまでの距離がどれくらい近いと巻き付いて、どれくらい離れると巻き付かないのか。 ゴーヤをヘチマや朝顔なんかと同時に育てると、どんな生存競争が生まれるのか。 セイダカアワダチソウと対決させると、どっちが勝つのか。 夏休みの自由研究のテーマにすると、なかなか面白そうですよね。 ま、今年はもう手遅れっぽいですけど。 この 「ゴーヤの研究」 のアイデア、女子小学生限定で、58(ゴーヤ)円で譲ってあげてもいいなと思うんですが、もし希望者がおられましたらメール、よろしく☆

 ということで、今日はジョン・ハンディっす。 また地味なのを持って来ましたな。 前回に引き続き、超適当なレビューになっちゃう恐れが多分にあるんですが、でも大丈夫。 地味ながら個人的には好きなキャラだったりしますからね、ジョン・ハン。 といっても、その素性をよく理解しているワケではないんですが、どういう人でしたっけ? ということで、調べてみました。 1950年代末にチャールズ・ミンガス・バンドに参加。60年代半ばにはマイケル・ホワイトやマイク・ノックを加えたバンドを結成してジャズ・ロックを先取りし、70年代にはインド音楽に傾倒するなど多彩な音楽性を示すジョン・ハンディ。 あ、そうそう。 ミンガスの絡みで、たまに名前を見るキャラでありますな。 アルバムで言うと 『ミンガス・アー・アム』 とか 『ミンガス・ダイナスティ』 とか。 後者のほうは持っていないので、何とかしなければならん。 そんな焦りがあったりもするんですが、個人的には茄子がさほど好きではないので、あまりソソられるものが無かったりするんですよね、大茄子ティ。 せめて米茄子くらいなら何とかなりそうなんですが、大茄子はちょっと…。 で、今日はそんなハンディの 『ノー・コースト・ジャズ』 というアルバムを取り上げてみたいと思いますが、白目を剥いて、ふざけた顔でアルトを吹いているジャケットは、「真面目にせぇ!」 と言いたくなっちゃいますよね。 いや、本人は大真面目だったりするのかも知れませんが、で、タイトルにある 「ノー・コースト」 。 ちょっぴり脳梗塞に似てたりするんですが、それの意味するところはイースト・コーストでもなく、ウエスト・コーストでもない、まったく新しいスタイルのジャズをやったるで! そんな自負の表れではないかと思われます。 東でもなく、西でもない。 目指す方向はもう、南しかありませんな。 指南車とジュディ・オングの後に続け〜! ま、別に北を目指してもいいかとは思うんですが、で、これ、ピアノがドン・フリードマンなんですな。 眼鏡をはずした山下洋輔をゲルマン系にしたような顔で、ビル・エバンスをちょっぴり小難しくしたようなピアノを弾く人ですよね。 白目を剥いたオッサンとは今ひとつ相性がよく無さそうな気がしないでもないんですが、果たしてこの組み合わせが吉と出るか、凶とでるか。 とまあそんなことで、1曲目から。

 このアルバムは全曲がジョン・ハンのオリジナルで構成されているんですが、まず手始めは 「トゥ・ランディ」 。 ピアニストのランディ・ウェストンに捧げられた作品で、4分の5拍子のリズムを持っている。 ハンディは59年に、ウェストンと一緒に5ヶ月ほどプレイをおこなったこともあった。 そう、日本語ライナーで岡崎正通クンが蘊蓄を披露してくれておりますが、ハンディとランディ。 いいですなぁ、韻を踏んでいて。 で、4分の5拍子といえば 「テイク・ファイブ」 。 正通クンはその点についても触れておりますが、「ウェスティン都ホテル京都」 のバーで外人さんがリクエストしていた人気曲であります。 ここ 参照。 ウェストンとウェスティン。 いいですなぁ、韻を踏んでいて。 で、曲のほうはというと、言われてみれば確かに4分の5拍子っぽい空気が漂っているような気がしないでもなくて、アルトとピアノの絡みで演奏されるテーマは、ちょっぴりモダンで斬新な雰囲気。 ハンディの吹くサックスはソプラノっぽい音色で、都会派でアーバンな装いだったりするのがちょっぴり意外で予想外。 いやあ、人間って見た目だけでは判断出来ないものなんですなぁ。 ランディ・ウェストンはちょっと変な曲を書く人としても知られているんですが、そのランディに捧げられたこのハンディの曲も、ちょっと変。 その辺、うまくリスペクトしているな。 そんな感慨に浸ることが出来るんですが、で、テーマに続いてドン・フリードマンのソロが登場。 で、これがまた、思いきりドン・フリしまくっているので、思わずニタニタしちゃうんですが、いや、これはなかなか聞き応えがありますぜ。 続くハンディのソロも極めて良好。 基本はパーカー派なんでしょうが、小難しくない程度にちょっぴり斬新だったりして、これまた聞き応えがあります。 終盤はベースとタイコの人をちょっとだけ持ち上げるパートもあったりして、でもって、テーマに戻って、おしまい。 ぶっちゃけ、あまり多くのものを期待していたワケではないんですが、いい意味で裏切られた、なかなかの好演でありました。

 で、次。  「テイルズ・オブ・パラダイス」 。 「楽園のしっぽ」 っすか。 リリカルなバラードなんですが、ここでのハンディのサックスは、思いっきりソプラノを吹くジョン・コルトレーン風。 白目を剥いたオッサンから溢れ出すスピリチュアルなスピリッツ。 これまた意外な展開です。 で、続くドン・フリードマンのソロが、まさにハマリ役。 ずっぽりと嵌まっていて、いやあ、いいっす。 ということで、次。  「ブーズ・アップ・アンド・ダウンズ」 。 ハンディによれば “辛い時代を過ごしてきた少女の物語” なのだという。 そういうアレなんだそうですが、ココイチのカレーは10辛以上限定っ! …とか、そういった時代なんっすかね? それはちょっと辛いっすな。 昔は、甘いカレーとか、お子様っぽい。たくさん食わないと男らしくない。 そんな思いで 「1辛の400グラム」 を頼んだりしていたんですが、最近は吹っ切れて 「量も辛さも普通」 ですからね。 そんな辛い時代を過ごしてきた少女の物語なので、当然、バラード調の哀しい仕上がりだったりするんですが、しっかり書かれた構成とともに、ハンディとフリードマンの自由な感性の飛翔をもつソロがフィーチャーされる。 そういうアレだったりして、アドリブ・パートに入ると結構、吹っ切れちゃってます。 ハンディのプレイはここでもスピリチュアルなコルトレーン、略してスピトレーン路線。 続くドン・フリはちょっぴり小難しい路線だったりするんですが、耐えきれずに投げ出したくなる一歩手前で何とか踏み留まっているし、とまあそんなことで、テーマに戻って、おしまい。

 4曲目、 「ハイ・ナンバー」 。 明るく正しい正統派のハード・バップ。 そういった仕上がりのアレだったりするんですが、シンプルに歌うようなメロディが印象に残る作品で、当時のハンディのバンドの代表的なレパートリーだった1曲。 そう、正通クンは評しておりますな。 ソプラノっぽいトーンのハンディのアルトのソロは、わりとオーソドックス。 続くフリードマンもけっこうダークダックス。 ビル・リーとやらのベースのピチカート・ソロもフィーチャーされていたりします。 で、テーマに戻って、おしまい。 シンプルな仕上がりで、今ひとつ印象が薄いんですが、でもまあ、明電エ〇ジニアリングの臼井クンよりはぜんぜんマシかと。 20年くらい前にファックスのやりとりをしただけの関係なんですが、何か嫌な奴だったんですよね、臼井。 会ったことはないんですが、どうせ髪の薄いオッサンだったに違いありません。 同じ会社のトキオくんは地味で真面目そうなルックスのオッサンだったんですが、飲み屋のネーチャン相手には、めっちゃエロい。 そんな噂を耳にしたこともあります。 そういうところでストレスを発散していたんでしょうなぁ。 …と、過去の思い出に浸りつつ、次。  「プリティサイド・アヴェニュー」 。 “5番街を歩く美しい女性をイメージして書いた” というアレだったりするんですが、桑名には一番街というクソ寂れた商店街しか無かったりするので、今ひとつピンと来ません。 寺町通りのほうが賑わってるしぃ。 ま、それも三八市の時オンリーなんですが、で、演奏のほうはというと、ま、そこそこのバラードであるな。 そういった感じで、ちょっぴりインパクトは薄かったりします。 途中、ベースのピチカート・ソロもあったりして、それなりに苦痛だったりもして、とまあそんなこんなで、ラストっす。  「ノー・コースト」 。 アルバム・タイトルの元になった東でも西でもない、南か北かの海岸を目指す路線。 そういうアレでありますな。 一転、アグレッシブな路線。 そのように評されておりますが、緩急をうまく使い、時折、ストップタイムも駆使したりして、なかなかよく練られた仕上がりとなっております。 ハンディのソロは押せ押せ一直線で、無駄にヒートアップしちゃうんですが、その後、フリードマンがうまくクールダウンしてくれて、そこから次第にピアノも熱さを増していって、続いてベースの何とか君が出て来て、再び冷やす。 何だかこう、血行がよくなって、しもやけの治癒にも効果がありそうですなぁ。 で、最後は集団即興演奏みたいに参加者全員でパーッと派手に盛り上がるのかと思ったら、何だか中途半端な感じで終わっちゃいましたが、それもまた人生。 ということで、今日は以上です。

【総合評価】 主人公がジョン・ハンディ。( ← 地味…というか、誰?) 白目を剥いたジャケット写真。 ( ← キモっ!) で、全曲がオリジナルで、知ってる曲は皆無。 大丈夫なのか? 誰か責任は取れるのか? ポジティブな要素がどこにも感じられなかったんですが、意外な健闘ぶりでありました。 後半はやや、解説者に飽きちゃった感が見られたりもしたんですが、最初の3曲だけで十分に999円の元は取れちゃいます。 というか最近、CDが安過ぎぃ。 まだ生きているのかどうか分からんジョン・ハンディくん、これで飯の種になるのか、ちょっと心配だったりするんですが、他のリーダー作にも手を出してみよう。 そう思わせてくれる1枚でありました。


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