COLTRANE (PRESTIGE)

JOHN COLTRANE (1957/5/31)

COLTRANE


【パーソネル】

JOHN COLTRANE (ts) JOHNNIE SPLAWN (tp) <#1,4-6> SAHIB SHIHAB (bs) <#1,4,6>
RED GARLAND (p) <#1-3> MAL WALDRON (p) <#4-6> PAUL CHAMBERS (b) ALBERT HEATH (ds)
【収録曲】

(01-03) BAKAI / VIOLETS FOR YOUR FURS / TIME WAS
(04-06) STRAIGHT STREET / WHILE MY LADY SLEEPS / CHRONIC BLUES
【解説】 ( 2015年02月08日更新 / 連載 1,153回 )

 今日は炭について考えてみたいと思います。題して 『隅に置けない炭のお話』 。 炭について隅々まで検証してみよう。 そういうアレだったりするんですが、炭だけで1回分の原稿が賄えるとも思えないので、語尾に “すみ” が付くものにまで話題を広げていこうかと。 イカ墨とか、カラスミとか。 それでも駄目なら頭に “すみ” が付くものまで視野を広げなければなりませんが、スミソニアンとか、酢味噌煮餡とか。 そんな、酸っぱいのか甘いのか味噌味なのか、よく分からない煮物のお世話にならなくても済むように頑張りたいとは思いますが、ということで、まずは基本の “炭” 。 これには大きく分けて2つの種類があります。 木炭と石炭。 どこがどう違うのかというと、生産者が違います。 前者は炭焼きのオッサンで、後者は炭鉱送りにされた北朝鮮の人。 オッサンが黙々、淡々と作る木炭に対して、炭鉱は埃とかが凄くて大変そうっすよね。 呼吸器疾患になる人も少なくないに違いなく、咳と痰に苦しみながら、石炭。 そういった労働環境なのではないかと思われますが、ちなみに木炭も石炭も、素になっている物質は同じです。炭素。それが炭の素だったりしますよね。 黒鉛も炭素、ダイヤモンドも炭素。 いいですよね、ダイヤモンド。 “世界3大もんど” の1つですよね。 残る2つはアーモンドと中村主水 (なかむらもんど) なんですが、ジャズ好きなら、そこにダニー・リッチモンドを加えて “もんど四天王” にしてもいいのではなかろうかと。 黒鉛もダイヤモンドも同じ炭素だと聞いて、子供の頃、鉛筆の芯からダイヤを作ろうとしたことがあるんですが、その方法は簡単。 鉛筆の芯で、ひたすら紙を黒く塗るだけ。 摩擦熱と、上からギュッと押さえつける圧力で、黒鉛がダイヤに変わる! そういう算段なんですが、実際にやってみると表面がメタリックな感じに光るようになってきて、凄ぇぇぇぇ! 全部とは言わないまでも、炭素のうちの0.0278%くらいがダイヤ化した結果の光沢に違いありません。 が、よくよく調べてみると、一言で光沢といっても沢山な種類の光があったりするようで、金属のキラキラは金属光沢、ダイヤモンドのキラキラは金剛光沢で、違った光の沢だったりするようなんですが、黒鉛の光沢は金剛ではなくて金属のほうだったりするようで、もしかしたらまったくダイヤ化など、していなかったのかも知れない。そんな気もしてきました。 ちなみに金剛光沢って、何だか金剛力士像みたいで、金ピカな相撲取りのイメージしか浮かんで来なかったりするんですが、金剛というのは宝石のダイヤモンド、仏教用語の「金中最剛」の略、「艦隊これくしょん」のキャラクター。そんな意味があるんですな。 金中最剛というのも、鉱物中で最も剛(つよし)な物 = ダイヤモンドのことのようで、金剛力士クンはダイヤで出来た金剛杵 (こんごうしょ) という仏敵を退散させる武器を持っていることから、このようなネーミングとなった模様です。 となるとストロング金剛って、めっちゃ強い名前だったりするんですな。 「強力わかもと」 なんかとは比べものにならないくらい。 コイツに対抗出来るのは、殿様キングスくらい?

 で、鉛筆の芯で紙をひたすら黒く塗ったヤツが、どうして金属光沢を持つのかというと、黒鉛に半分ほど金属の性質があったりするからなんですが、そういえば黒鉛は電気を通しますよね。 シャーペンの芯をコンセントに突っ込む “感電ごっこ” をして遊んだ人は少なくないと思いますが、関西地方のお子様は、関電の電気で感電♪ …みたいな。 「42Vは死にボルト」 という有名な安全標語もあったりするくらいだから、100Vだと2.38回くらいは死んじゃう可能性がありますよね。 ま、本当に怖いのは電圧の高さではなく、身体に流れる電流の強さだったりするんですけど。 冬場にドアノブに触れてバチッとくる静電気なんか電圧は数千ボルトなんですが、基本、お静かな電気で電流はほとんど流れないから、死にはしませんよね。 ちなみに電気風呂の電圧は3〜5Vくらいだったりするようです。 湯の中に浸かっていて電流が流れまくりなので、あまり高くし過ぎると危険なんでしょうな。 僕は職業柄、何度か感電したことがあるんですが、100Vはまだ大丈夫。 が、200Vとなると、ちょっとヤバイっす。 ビリビリとくるというよりも、ガーンと叩かれたような感じ。 痺れるというよりも、痛いっす。 100Vなら大丈夫とは言っても、分かっててビリビリしたくはないので、両手にシャー芯を持たされてコンセントに突っ込まされる拷問をやられたら、速攻で洗いざらい、何もかも白状してしまいそうなんですが、下手したら電気風呂に浸けられるだけでも自供する自信があったりします。 で、黒鉛が持つ金属光沢と導電性、これはどちらも自由電子に起因するものなんですが、黒鉛とダイヤモンドの分子構造の違いは ここ を参照。 懐かしいっすなぁ、ファンデルワールス結合。 妙に中二心をくすぐられますよね。 自由電子というのも何だかフリーダムな雰囲気でソソられるものがあったりするんですが、π電子という呼び方もいいっすなぁ。 高校時代は化学大好き少年だったんっすよね。 それがどこでどう道を踏み誤ったのか、当時から苦手で嫌いだった電気関係の仕事に就くことになるとは、思ってもみませんでした。 ま、好きなことを仕事にするというのも、ちょっとアレだったりするんですけどね。 僕はウンコねたが結構好きだったりするんですが、うんこポンプの修理とか、めっちゃ嫌だしぃ。

 で、石炭。 その重要性から “黒いダイヤ” などと呼ばれたこともありますが、化学的に見てもわりと適正な表現だったりしますよね。 ストロング金剛ではありませんが、微妙に金属光沢があったりします。 ぶっちゃけ、僕は石炭にはぜんぜん詳しくなかったりするんですが、でも大丈夫。 コール君 が懇切丁寧に教えてくれます。 まずは石炭の種類。 炭素の濃縮の度合いによって、いくつかに分けられるようです。 無煙炭、瀝青炭、亜瀝青炭、褐炭、亜炭、泥炭。 無駄に格調が高いネーミングでありますな。 右に行くほど程度が低くなって、褐炭なんかに手を出しちゃうと、その筋のプロの人から 「褐炭なんか買ったん?」 と、馬鹿にされちゃいそうです。 「褐炭、買ったわ!亜炭も買ったわ!アカンのか!?」 そう、逆ギレするしかないんですが、岐阜のどこかで亜炭が問題になっていたような気がしますな。 いや、亜炭がアカンというワケではなく、亜炭の採掘跡が空洞になっていて、道路が陥没しちゃうみたいな事故が多発しているとか。 これ とか。 ああ、こりゃ、アカン。。。 この写真がどこの事例なのかは分かりませんが、御嵩町がヤバイみたいっすな。 町長は襲撃されるし、似たような名前の御嶽山は噴火しちゃうしで、何かと大変。 で、続いては瀝青炭。 何だか歴戦の強者 (つわもの) っぽくて、いいっすなぁ。 激安の生物 (なまもの) だと、ちょっと怖くて食べる気がしないんですが、歴戦の強者なら大丈夫。 いや、別に強者 (つわもの) を漬物にして食べたりはしないんですが、この瀝青炭っていうの、名前は仰々しいんですが、石炭としてはもっともポピュラーなものであるようです。 光沢のある黒色の石炭で,長い炎を出して燃える代表的な石炭。炭化度は無煙炭に劣るが,強粘結のものは製鉄用コークス炭となる。 ほぉ、コークスっすか。 どこかで聞いたことがありますな。 コークス(ドイツ語:Koks、英語:coke)とは、石炭を乾留(蒸し焼き)した燃料のことである。漢字では骸炭と書く。 蒸し焼きにすることで石炭から硫黄、コールタール、ピッチなどの成分が抜ける。この乾留工程を経る事で燃焼時の発熱量が元の原料の石炭より高くなり、うんぬん。 ほぉ、骸炭っすか。 骸骨っぽくて、ちょっと嫌な感じがする漢字なんですが、硫黄とか、コールタールとか、ピッチなんかが抜けるというのはいいっすよね。 コールテンのズボンとか、何かダサい気がするし、抜けちゃって正解。 もしかしたら今のヤングはコールテンのズボンではなく、コーデュロイのパンツと言ったりするのかも知れませんが、コーデュロイとか、そんなローマ字入力しにくいヤツは、絶対に認めん! コールテンならコール天と漢字で書くことも出来て、何かの天麩羅みたいでイケてるしぃ! そういうオッサンの主張は分からないでもありません。 エビ天、イカ天、コール天。 “世界3大天” として生きていけそうっすよね。 で、これ、何を揚げればいいっすかね? 高野豆腐? それだとコーヤ天になっちゃうし、別名、凍み豆腐 (しみどうふ) と言ったりもするので、それなら “シミ天” のほうがいいかも?

 で、続いては木炭。 木炭とは木材などの植物組織を半ば密閉した状態で加熱し、炭化させて得られた炭である。 材料の木材から揮発成分を抜いたものであり、木材と違い炎が出ない、もしくは少ない。 ほぉ、コークスの製法と非常によく似ておりますな。 炭焼きのオッサン、黙々、淡々と、そんなことをしていたんですなぁ。 炭焼き。 木炭を生産すること、またはそれに従事する人。製炭労働の作業行程は、築窯、原木伐採、運搬、木拵 (きごしらえ) 、詰込み、炭化作業、窯出し、炭切り選別、俵装、うんぬん。 なかなか大変そうです。 築窯から始めなければならんのですな。 チーカマを食べるくらいのことなら僕にも出来そうなんですが、築窯はちょっと。。。 「ちくかま」 ではなく 「ちくよう」 と読むものと思われるので、チーカマはあまり関係ないんっすけど。 で、木炭と言えば、備長炭。 紀伊国田辺の商人、備中屋長左衛門がウバメガシを材料に作り、販売を始めたのが由来だそうですが、備中屋長左衛門、略して備長。 備長炭でビンチョウマグロを焼いたりすると、美味そうっすなぁ。 で、木炭には脱臭効果もあったりするんですが、木炭は主に多孔質のものが多く、この細孔に微細な物を吸着することから、うんぬん。 脱臭に使った炭を、炭火焼きに再利用したりすると、閉じ込められていた臭さ成分が揮発して、大変なことになっちゃいそうなんですが、靴下の匂いをたっぷり吸った炭で “くさや” を焼いたりすると、効果が倍増するかも? で、この脱臭分野に特化した炭というのがありますよね。 活性炭。 そう、そいつです。 活性炭とは、特定の物質を選択的に分離、除去、精製するなどの目的で吸着効率を高めるために化学的または物理的な処理(活性化、賦活)を施した多孔質の炭素を主な成分とする物質である。 ほぉ、活性化した炭だから活性炭なのは何となく分かっていたんですが、賦活などという、月賦生活みたいな処理も施されているんですが。 将来、ローン地獄に苦しんで自己破産しちゃいそうなんですが、そもそも今回、どうして 「炭」 なんぞをテーマに選んだのかというと、今度の火曜日に活性炭を入れ替える仕事をしなければならなくなったからなんですけど。 うんこ処理場の脱臭装置の活性炭を入れ替えるとか、何とか。 うちの会社の中で最も剛(つよし)な、つよぽん (←営業担当) は、 「簡単に変えられるらしいっすよ。」 と、物事を軽く考えて、下請けの職人に頼らず、僕ともう一人の社員の力だけで何とかさせようと思っているようですが、何かドツボに嵌まっちゃうような気が…。 ちなみに、今回取り替えるのはアクチカーボン FC-Aが65kg、FC-Bが80kg、FC-Nが70kg。 15kg紙袋 端数対応という荷姿でウチの倉庫に配送されて来たんですが、けっこう重いっすぜ、これ。

 15kgの鉄の塊と、15kgの綿なら、綿のほうが断然軽いような気がするのと同様、炭というのは砂利なんかに比べると軽そうに思えるので、15kgでも余裕? そんなふうに楽観視していたんですが、15kgの砂利と同じくらいの重さがあるような…。 新品の紙袋のほうはまだ何とかなるかも知れませんが、脱臭装置のほうには70kgとか80kgとかの活性炭が引き出しの中に入っているようなイメージであるらしく、それをどのようにして撤去しろと? 「とりあえず “角スコ” があればいいっすかね?」 と、つよぽんは簡単に言ってくれましたが、僕はぜんぜんストロング金剛ではなかったりするし、うーん…。 ということで、この場をお借りして助っ人を募ろうかと思うんですが、2月10日にナガシマまで来てくれる人、急募。 謝礼は出せませんが、お昼ごはんとして、脱臭装置から取り出した活性炭を使った炭火焼きのスミイカをサービスしますので、ヨロシク☆

 ということで、今日はジョン・コルトレーンだじょーん。 コルトレーンというと、ジャズ界の重鎮といったイメージがあるんですが、享年40歳。 お亡くなりになった時点で、今の僕よりずっと年下だったりします。 「トレーン、そこのトレイを取れーん。」 とか、こき使っても、ぜんぜん大丈夫。 重鎮というより、習字の道具の世界で言えば、文鎮といったレベルということになりますかね? 主役の 「墨」 の足下にも及びません。 ちなみに習字で使う墨というのは、イカ墨を煮詰めて固めて作るのではなく、菜種油やゴマ油の油煙や松煙から採取した煤を香料と膠で練り固めた物。 そういった物であるようです。 日食を観察する際に、ガラスの板を蝋燭で炙って、煤 (すす) で黒くしたヤツを使ったりしますが、あの煤を集めて、膠 (にかわ) で練り固めるんすか。 にわか者には簡単に作れそうにもない、クソ面倒な製法なんですな。 クソ高いのも仕方がないところでありますが、イカ墨を煮詰めて固めて作ればいいじゃん。 そんな気がしないでもないんですが、いかんせん、薄過ぎなんですよね、イカ墨は。 香典袋に名前を書く時くらいしか使い道がなかったりします。 哀しみのあまり、涙で墨も薄まってしましました。 そういうった状況を演出するために薄墨で書くらしいっすよね、香典袋。 哀しすぎて力が出ないよぉ。 → 墨を強く摺ることが出来ない。 → 薄墨になる。 そういう経緯もあったりするようです。 お通夜にビシっと決まった喪服で行ったりすると、まるで死ぬのを期待して、あらかじめ喪服を準備していたみたいや。 そんな嫌味を言われたりしてもアレなので、普段着のほうがいい。 そんなマナーがあったりもします。 何かと面倒だったりするんですが、とまあそれはそうと、コルトレーン。 今日は 『コルトレーン』 というアルバムを取り上げてみたいと思います。 何のひねりもないタイトルっすな。 同じ名前のヤツがアトランティック盤にもあったりしますが、今回はプレスティッジのほう。 ジャズ界の文鎮、コルトレーン君の記念すべき初リーダー作であります。 吹き込まれたのは1957年5月。 前回取り上げた 『ニュークス・タイム』 と、ほぼ同じ時期であります。 ロリンズが既に “王者の風格” を漂わせているのに対して、トレーン君のほうは “おじやに麩菓子” って感じ? 腹の調子が悪い時にはいいかもしれませんが、何だか頼りなくて、物足りないっすよね。 1人でフロントを任せるのは荷が重いと判断されたのか、ジョニー・スプローンサヒブ・シハブという、何とも地味渋い人たちが補佐役として配置されていたりします。 ピアノはレッド・ガーランドマル・ウォルドロンが半々。 ベースがポール・チェンバースで、ドラムスがアルバート・ヒース。 堅実なところで固めましたな。 トランペットに、テナーとバリトンの2サックスという、変則的な3管編成だったりするんですが、とまあそんなことで、では演奏を聞いてみることにしましょう。

 1曲目の 「バカイ」 はコルトレーンと親交があった新興勢力のトランペッター、カル・マッセイのオリジナル。 「ちょっとこれ、借りまっせい。」 と、気軽に物を貸し借り出来る間柄だったようですが、作曲の才にも秀でた、ヒデじい。 そういうキャラだったりします。 で、この 「バカイ」 も、馬鹿に出来ない優れた楽曲となっておりまして、エキゾチックな雰囲気のテーマは、3管の絡みが何ともエキサイティング。 アフロなリズムが真ん中の部分で一転してオーソドックスな4ビートに転じる辺り、知的なセンスを感じさせたりもして、でもって、ソロ先発はガーランドでありますか。 いきなりピアノが出てくるこのパターン、個人的にはめっちゃ好きなんっすよね。 いまだクリシェに陥る以前のガーランドのソロは、さすがに魅力的だ。 そう、日本語ライナーで粟村政昭クンが褒めております。 裏を返せば、これより後の時代は次第にマンネリ化して、つまんないよね。 そう貶めているに等しいんですが、粟村の癖に生意気っすな。 子供の頃に近所のスーパーで買った 「粟おこし」 。 どこにも栗なんか入ってなくて、ひどくガッカリした覚えがあるんですが、よく見たら 「栗(くり)」 じゃなくて、「粟 (あわ)」 やんけ! あれ以来、粟にはあまりいい印象を持てなかったりするんですが、余計なテンテンとか、いらんねん! で、続いてはトレーンのソロ。 一聴ただちに前年10月のマイルスのセッションからの飛躍を指摘し得る悠然たるもので、この期の彼の成長の早さに驚かざるを得ない。 そう、粟村クンが書いちゃってくれておりますが、確かに悠然とした加賀友禅。 そんな煌びやかな世界を思わせる出来だったりしております。 いかいにもプレスティッジのコルトレーン、略してプレーンやな。 そんな感じで、かなり荒削りだったりするんですけどね。 続くバリサクのソロに関して、粟りんは何も言及しておりませんが、ワイルドな仕上がりで、悪くないと思います。 個人的にはけっこう好きだったりするんですよね、サヒブ・シハブ。 名前がめっちゃ韻を踏んでいたりするしぃ。 とまあそんなことで、けっこう無理矢理な感じでテーマに戻って、おしまい。

 で、次。  「ヴァイオレット・フォー・ユア・ファース」 はマット・デニスのペンによる歌物ナンバー。 「コートにすみれを」 という邦題でしられていますよね。 “すみれ” というと岩崎宏美の 「すみれ色の涙」 とか、一風堂の 「すみれ September Love」 とか、『おーい!はに丸』 の “すみれちゃん” とかを思い出すんですが、子供向けの番組にしては、ちょっとケバかったっすよね、すみれちゃん。 星一おじさんはオッサン臭い上に、胡散臭かったしぃ。 脱臭装置を通過させたほうがいいような気がするんですが、で、演奏のほうはというと、50年代に吹き込まれたトレーンの全作品中でも屈指の好演で、いわゆるビタースイートなコルトレーン流のバラード奏法が満喫出来る。 そう、粟りんが絶賛しておりますが、僕も全面的に同意っす。 いいっすよね、ビタースイート。 松田聖子の 「BITTER SWEET LOLLIPOPS」 は、なかなかの名曲だったりするんですが、作詞:松本隆、作曲:大村雅朗っすか。 詞のほうはともかく、曲のほうはあまりよく知らん人だったりするんですが、調べてみたら 「SWEET MEMORIES」 も作っているんですな。 もしかして、スイーツ好き? 作曲部門での目立った活躍はそれくらいなんですが、編曲のほうの功績は半端ないっす。 詳しくは Wikipedia 参照。 倉田まり子 「イヴニング・スキャンダル」 の編曲もやっているんですな。 投資ジャーナルの中江滋樹とのスキャンダル疑惑で消えちゃいましたよね、倉田まり子。 麻原彰晃の前身みたいな胡散臭いオッサンでしたよね。 で、話を演奏のほうに戻しますが、リリカルなピアノのイントロに続いて、トレーンがワン・ホーンで朗々とテーマを歌い上げ、めっちゃブロック・コードがガーランドのソロが引き継ぐ。ここの流れが絶妙だったりします。 ややスイート過ぎる嫌いがないワケでもないんですが、続くトレーンのビターなブロウで緩和されて、ちょうどいい味付けとなっております。 でもって、テーマに戻って、おしまい。 ちなみに原タイトルにある “Furs” というのは、毛皮のことでありますな。 リアルファーとか、フェイクファーとかの、ファー。 歌詞に関しては ここ を参考にしてください。 ぶっちゃけ、あまり大したことを言ってるワケでもなさそうですが、それをどう聞かせるかは、演奏者の腕次第でありますな。

 で、次。 さほど有名ではない歌物っぽい 「タイム・ワズ」 。 シンプルなワン・ホーン編成で軽やかに歌い上げる、ミディアム・テンポのアレだったりするんですが、既にアトランティック時代のコルトレーン、略してアトーンなスタイルの萌芽を感じさせるものがあったりして、なかなか興味深いっす。 テナー、ピアノ、ベースの順で各自のソロが披露され、ポール・チェンバースのソロが、いつもより魅力のない音に聞こえるのは残念だが。 そんなふうに書かれちゃっておりますが、そっかぁ? 僕の耳にはいつもと同じように聞こえますけどね。 というか、いつも魅力がある音とは思えなかったりするんですが、ま、修行タイムだと思って諦めるしかないっすよね、ベースのソロは。 ということで、次。 コルトレーンのオリジナルで、 「ストレート・ストリート」 。 いいっすなぁ、このタイトル。 めっちゃ韻を踏んでいて。 ウンコを踏むと運がついて、いい。 そんなことを言って自分を慰める人がいますが、踏むんだったら断然、ウンコよりもインコっすよね。 いや、インコを踏みつぶしてはいけませんな。 で、曲のほうはというと、ストレート・アヘッドで、アヘアヘ♪ そんな仕上がりで…、とか思っていると、急に凝った感じのパートが出て来たりするんですが、3管の絡み具合がけっこう斬新。 で、ソロはテナー、トランペット、ピアノの順でリレーされるが、コルトレーンのプレイが図抜けているだけに、あとの二人が少々影の薄くなるのはやむを得ない。 そんなふうに書かれちゃっています。 特にラッパ担当のジョニー・スプローンは、今も昔も無名のままに終わった。 そういうキャラであるようですが、この録音によって判断する限りでは不安定な面が多く、うんぬん。 辛口っすなぁ、粟村くん。 僕が聞く限りでは、ビル・ハードマンとかアイドリース・シュリーマンあたりを更にローカルっぽくした感じ。 そんな評価だったりして、決して悪くはないと思うんですが、で、続くピアノのソロは、そういえばガーランドからマル・ウォルドロンに変わったんだっけ。 その事実を思い起こさせてくれるぐらいマルっぽさが感じられたりして、でもって、テーマに戻って、おしまい。

 で、次。  「ホワイル・マイ・レディ・スリープス」 。 あまり耳にすることのない曲だが、コルトレーンの粘っこいフレージングが圧巻で、トランペットは、最後にテナー・サックスに合流するだけの役割で終わる。 そういうアレだったりします。 バラードというか、スローブルースというか、とにかく、ネチっこいっすな。 粘菌好きには、たまらんものがあるに違いありません。 画像検索すると、けっこうキモ綺麗だったりするんですよね、粘菌。 少なくとも、ミスター年金の長妻クンよりはイケてると思います。 ということで、ラスト。  「クロニック・ブルース」 は、コルトレーンのオリジナル。 いかにもクロニックらしい、黒い肉なリフ・ブルースだったりするんですが、ソロ先発のサヒブ・シハブのドス黒いバリトン・サックスがなかなかいい味を出しております。 黒ずんだ肉。 腐りかけがいちばん美味いとか言いますからなぁ。 途中、ラッパとテナーが絡んでくる場面もあったりして、ちょっぴりモーダルな雰囲気を醸し出したりもするんですが、で、続いてトレーンのソロが登場。 プレスティッジ時代のコルトレーンのプレイを、最も好ましいとするファンのあることもうなづけよう。 そう、粟りんは評しておりますが、苦手な人も少なくはなかったりするんですけどね。 で、先ほどは最後にテナー・サックスに合流するだけの役割で終わったスプローン君が、今度はきっちりと持ち場を任されて、その役割を着実にこなして、で、最後を締めるのはマルくんのソロ。 アルバム前半のガーランドの好演に比して、モールス信号風のマルのプレイが魅力薄に響くのも、このセッティングにあっては、いたしかたあるまい。 そう、突き放されていたりするんですが、この人、何かマルに恨みでもあるんっすかね? 革マル派にゲバ棒で殴られたとか? カクマル派って、四角いのか、丸いのか、はっきりしろ! 子供の頃、そんなふうに思ったりしていたんですが、日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派の略だったんですな。 ちゃんとホームページまでありますぜ。 ほれ 。 謀略粉砕・走狗一掃。 妙に語呂はいいんですが、中核派である “ブクロ派” と内ゲバみたいなことをやってたりする模様。 とても、マルく収まるとは思えませんが、とまあそんなこんなでテーマに戻って、おしまい♪

【総合評価】 ずーっと前に買ったものなんですが、今まで3曲目以降はまともに聞いたことがなかった。 そんな事実が発覚したんですが、 「コートにすみれを」 だけで納得しちゃうんですよね、何か。 全体的に “寄せ集め感” が強かったりもするんですが、逆に 「バラエティに富んでいる」 と評価することも出来るし、ガーランドは快調だし、マルも言われるほど悪くは無いし、サヒブはシハブだしで、そこそこ、オススメ♪


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