NIGHT CAP (SOUND HILLS)

MICHEL SARDABY (1970/10/30)

NIGHT CAP


【パーソネル】

MICHEL SARDABY (p) PERCY HEATH (b) CONNIE KAY (ds)
【収録曲】

(01-03) TRAVELING ON / NIGHT CAP / I'M FREE AGAIN
(04-06) MAYA / NILE VOYAGE / SATIN DOLL
【解説】 ( 2018年11月04日更新 / 連載 1,323回 )

 京都に行ってきました。 もともと、10月頃に兵庫県の瀬戸内海側だとか、京都府の日本海側だとかに行く予定を立てていたんっすが、長崎への出張が決まって、そうそう泊まりがけで遊びに行くというのも、アレやな…と。 が、最終日の夕方に、京都市内のホテルの温泉の予約を入れてあったりするので、せっかくだから、日帰りで行ってみるかぁ…と。 んなことで、行ってきました。 今回は目的地を嵐山・嵯峨野に絞ることにしたんっすが、 そうだ 京都、行こう。 …を参考に。 個人的には 大覚寺 が気になるんっすが、大沢池という大きな池があって、イケるやん! …と。 池、好きなんっすよね。 いけ好かないやつより、池のほうがずっと好きだったりするんっすが、ただ、JRの嵯峨嵐山駅から徒歩約17分って、微妙に遠いような? 他の寺社仏閣からも離れているし、少し手前にある、ちょっと格下っぽい 清涼寺 のほうで、いっかぁ…と。 いや、実際の格付けがどうなっているのかは知りませんが、ネーミング的には何か、ちょっと安っぽかったりしますよね、清涼寺。 清涼飲料水みたいで。 それを察してか、“嵯峨釈迦堂” という、無駄に語呂のいい別名が付けられているみたいなんっすが、ということで、行ってみました。 アクセスは嵯峨嵐山駅下車、北西0.5km。 君は北へゆけ、寒い今日を生きて、西へゆけ、そしてラーラバイ♪ 中村雅俊の 「心の色」 を歌っているうちに、到着します。 ちなみにJRの嵯峨嵐山駅というのは観光スポットからは微妙に離れていて、降りた瞬間、ここ、ほんまに嵐山なんか? …と、ちょっと心配になるんっすが、北西の方向は特に、華やいだ感が皆無でありますな。 歩道橋を渡って、嵯峨小学校のグラウンドを横目に、ん? ちょっとだけ、いい感じになってきた? …という気がしないでもない通りを歩いていくと、やがて立派な門が見えて来ます。 あまり多くは期待していなかったんっすが、なかなかのモンやんけ! そんな気がする門でありますな。 で、そこから中に入ってみると、


< 清 凉 寺 > (←クリックすると写真ページに飛びます。)
 

 多宝塔があるやんけ! 五重塔や三重塔を作るだけの金がなかったので、とりあえず二重塔でも。 そんな妥協の産物であるように思えてならないんっすが、ま、何にもないよりは、ぜんぜんマシっすよね。 ちなみに、三重県に五重塔って、あるんけ? 三重には三重塔しかないんちゃうんけ? そう思って調べてみたら、ちゃんと五重までありました。 ほれ 。 津観音。 語呂、悪っ! 「この道、真っ直ぐ行けば、津観音に着くん?」 「津観音には、着かんのんちゃう?」 そんな会話が三重県人の間で交わされていそうなんっすが、で、一方、清涼寺。 何かの像が見えるぞう。 そんな建造物もありました。 全般的な雰囲気は悪くありませんな。 まだオープン前だったので、中までは入らなかったんっすが、 こんな庭 もあるみたいっすな。 池、あるやん! イケるやん! 小堀遠州の作と伝わる…とか、言われるとか、そういったアレみたいなんっすが、金沢の武家屋敷にある庭とか、別に伝わっても、言われてもいないのに、 「いかにも小堀遠州好みであると言われている。」 とか言っていて、アレなんかよりは全然、コボちゃんであるな。 そのように言っていいのではなかろうかと。 で、敷地内に別件の 嵯峨薬師寺 というのがあって、ここは基本、非公開だったりするみたいんっすが、外からチラッと見た庭が、なかなかいい感じでありました。 で、中には こんな仏像 がある模様。 これを憂慮された嵯峨天皇は、弘法大師 (空海) に薬師如来像の彫刻を直々にお命じになり、うんぬん。 そんな記載が見られるんっすが、これ、弘法大師本人が掘ったんっすかね? だとすれば、あんまり才能は無いな…。 そんな気がしないでもないんっすが、あと、 聖徳太子像 なんかもあるみたいでっせ。 え? かぶり物を取ったら、こんなんなん? 単なる、ちょっと太った子供やんけ! ま、 “太子” だから、それで間違ってはないんっすが、弘法大師も仏像の腕は大したことがないし、これはもう、マグマ大使に賭けるしかないな…と。 で、清涼寺本体の出し物として、 こんなの もありました。 えー、こんなところに、首、埋めたん? で、ググってみたら、 これ 。 秀頼公の首であると伝わる、もしくは、言われる。 そういったアレみたいなんっすが、ところで秀頼クンって、千姫と結婚した人でしたっけ? で、秀頼クンが首になっちゃった後、千姫は桑名藩主・本多忠政の嫡男・本多忠刻と結婚。 そういう経緯があったりするんっすが、 千姫が恋に落ちた出会いのまち桑名 。 おお、何て恥ずかしいキャッチコピー。 千姫行列とかもやってましたよね、昔は。 首になった秀頼クンは、そっちのけかよ! それを考えると、何とも不憫でなりませんが、でもまあ、不憫でも、尿瓶 (しびん) よりはマシだよね? そう思って、諦めて貰うしかありません。

 ということで、清涼寺は以上っす。 意外と書くことがありましたな。 この京都シリーズは全2回で完結の予定だったんっすが、ぜんぜん終わらない気が…。 で、地図を見るとここのすぐ近くに 宝筺院 というのがあるっぽいっすよね。 で、実際、ありました。 どういう所なのかというと、 ここ 参照。 あっちが秀頼なら、こっちは楠木正行や! そんな対抗心から、“小楠公首塚” というのがあるみたいっす。 いや、歴史的には、こっちのほうが古そうなんっすけど。 小楠公 (しょうなんこう) 。 ちょっぴり湘南ボーイっぽくもあり、オロナインH軟膏っぽくもあり。 小籠包 (ショウロンポウ) にも似てますよね。 で、ここ、門の前に立って様子を窺ってみたんっすが、何となく中に入ったらアカンっぽい気配が感じられたので、もしかして非公開? …とか思って、やめちゃいました。 今、調べたら、普通に入れたっぽい? 僕は 『トムとジェリー』 のジェリーの 「ネズミは諦めが肝心なんだ。」 という台詞が好きで、わりとすぐ、何でも簡単に諦めちゃうんっすが、アキラ100%の真似も諦めちゃったし。 ということで、次。 祇王寺 というところに行ってみよう。 そんな気分だったりしたので、行ってみることにしました。 京都奥嵯峨 「平家物語」 悲恋の尼寺として知られる。 そういうアレだったりするみたいなんっすが、いいっすよね、平家物語。 源氏物語とどっちが好きかと聞かれたら、即答で 「平家っ!」 だったりするんっすが、源氏パイと平家パイなら、普通に “源氏” なんっすけどね。 平家パイ とか、 「オールレーズン」 の下位互換やろ? …と。 で、この寺が一体、どのように 「平家物語」 悲恋の尼寺なのかというと、 ここ 参照。 「平家物語 巻第一 祇王」 のあらすじもここで読めるんっすが、何というか、全部、清盛が悪いっ! そういったストーリーっすよね。 祇王タンと、仏御前タン、カワイソス…。 それはそうと “白拍子” って、何や? …というのがよく分からなかったので、調べてみました。 平安時代末期から室町時代初期にかけて行われた歌舞の一種およびその歌舞を演じた舞女。 (中略)この白拍子と呼ばれた遊女たちは、立烏帽子、水干に太刀を差した男姿で舞を舞ったので男舞とも呼ばれた。 ほぉ。 そう、言葉で説明されても、今ひとつピンときませんな。 そういう人は、 ここ 参照。 おお♪ さすがは 「いらすとや」 。 何でもあるやん! 何でもいいけど、ここでイラストを検索しようとすると、履歴として 「ブルマ」 「少女」 「体操服」 とか出てきて、思わずハアハアしてしまうんっすが、 運動服が小さくなってしまった男の子のイラスト 。 コアなマニアの要望にもきちんと応えてくれて、頭の下がる思いでありますなぁ。 で、関連イラストには何故か、 寒天粉のイラスト が…。


< 祇 王 寺 > (←クリックすると写真ページに飛びます。)
 

 とまあ、そんなこんなで、入場〜。 いやあ、よかったっす。 寺そのものは、テラいい感じでありました。 が、問題がひとつ…。 清涼寺からここに至る道は…、あ、それで思い出したんっすが、地図を見ると、途中に 厭離庵 というのがあるやん…と。 何か、めっちゃ中二心をくすぐられるネーミングっすよね。“厭”とか “離” とか、ネガティブなイメージの漢字は、暴走族の人たちにもウケがよさそう。 ハービー・ハンコックの 『エンピリアン・アイルズ』 も、漢字で 『厭否離庵・愛瑠頭』 とか、書きたくなっちゃいますよね。 最後の “頭” が、ちょっとダサいような気もするんっすが、松井稼頭央のおかげで、“頭” という字も人名漢字として市民権が得られましたからね。 で、この厭離庵、地図で見ると、確かにどこかにありそうなんっすが、入口がどこなのかよく分からなくて、結局のところ、諦めました。 今、調べたら 11月1日〜12月7日のみの公開なんっすな。 そういう、もったいぶったところが、たまらんっ! で、そこの横だか、前だかを通り過ぎて、祇王寺に至る道は観光客の姿も少なく、いかにも奥嵯峨な雰囲気が漂っていたんっすが、その僕の前に、やはり祇王寺を目指しているっぽい3人組のオバサンがいました。 僕はわりとオバサンには寛容だったりして、婆ちゃんやな…と思えるようなお年に達していたい限り、オネーサンと呼ぶのが通例なんっすが、今回の3人組のオバサンは、どう足掻いてもオバサンやな…と。 もしくは、オバハン。 ぺちゃぺちゃぺちゃぺちゃ喋りまくっていて、とにかくウルせぇ…。 「ウルせぇ」 と言えば、僕が子供の頃、「うるほしやつら」 っていう漫画、めっちゃオモロイで! そう、力説しているガキがおりましたな。 ツレのガキに 「うるせいやつら」 やろ。 そう、訂正されても、頑なに首を横に振って、「うるほしやつら!」 あまりに自信満々なので、もしかして、 「うるほし」 が正解だったりするとか? 心配になって調べてみたんっすが、やっぱり 「うるせい」 で合ってるやんけ! 40年くらい前の話なのに、余計な心配をさせやがって…。 あ、そういえば、「こりん星」 は、 「こりんせい」 で合ってるんっすよね? 「こりんぼし」 とかじゃないっすよね? この 動かない動画 を見たら、「こりんほし」 と言ってるような気がするんっすが、マジっすかぁ? ま、こんな日本語が不自由なヤツが言うことに、あまり信憑性はないと思うんっすが、「オリンパス」 みたいに言うなぁぁぁ!

 で、この、うる星オバハンの3人組は懸念した通り、やっぱり祇王寺へと入っていっちゃったんっすが、中に入ってもぺちゃぺちゃぺちゃぺちゃ、どうでもいいことを喋りっぱなしで、奥嵯峨の静謐なムードが台無し。 こういうオバハンは、受付のオネーサンの職権で、出入り禁止にして欲しいっすよね。 いや、“出” を禁止しちゃうと、すでに中に入ってしまっている以上、出られなくなって、ずっと迷惑が持続して困るので、入られる前に、入り禁止にしちゃわないと。 ま、写真だと “雑音” が入らないので、静かな庭の風景を感じ取って頂けるかと思いますが、苔の緑がめっちゃモスグリーン♪ それはそうと、モスバーガーの “モス” って、どういう意味なんっすかね? 苔バーガーにしろ、蛾バーガーにしろ、どっちにしろ、ちょっと嫌なんっすが、えーと、モスバーガーの “MOS” は、“M” は “Mountain”(山のように気高く堂々と)、“O” は “Ocean”(海のように深く広い心で)、“S” は “Sun”(太陽のように燃え尽きることのない情熱を持って)という意味とされているが、うんぬん。 そんな、オッパッピー (Ocean pacific peace) みたいな由来があったんっすかぁ。 で、ここの草庵の中にも入ってみたかったんっすが、オバハン3人組が選挙していてウザいので、断念しました。 この丸い吉野窓から外の景色を眺めてみたかったのに…。 で、中には こんな像 もあるみたいなんっすが、祇王タンも仏御前タンも、今ひとつ可愛くねぇ…。 もしかして、弘法大師 (空海) に、この像の彫刻を直々にお命じになったりしたんっすかね? この方面に才能が無いのは、分かりきった話なのに…。 で、いろいろと調べてみたところ、この祇王寺にはかつて、 「まろみちゃん」 という白猫が住み着いていたみたいっすな。 えーと、 ここ とか、参照。 祇王さんの面影を追っているうちに自分にもまろ眉が写ってしまったとか!?きゃぴ。 ノリコさん (着物好き40代) 可愛い♪ まろみちゃんも可愛い♪ 残念ながらこの2年後くらいに、20歳でお亡くなりになったみたいでありますが、苔の緑と散り紅葉、そこに佇む真っ白な猫。 絵になったでしょうなぁ。

 とまあそんなこんなで、とっても素晴らしいお寺でありましたが、門のすぐ手前のところには、 こんなもの が。 実物は 滝口寺 というところにあるみたいなんっすが、どれだけ、首塚が好きやねん!? …と。 ここは素通りしちゃったんっすが、どうせなら見てこればよかったかな? …と。 ちょっぴり後悔しつつ、この続きはまた、次回。

 ということで、今日はミシェル・サルダビーっす。 そういえば、そんな人もいましたなぁ。 わりと最近、取り上げたような気がする、誰かの何とかというアルバムの、何とかという曲の解説に、ミシェル・サルダビーの何とかという曲を思わせる。 そんな記述があって、ああ、そういえば、そんな人もいたなぁ…と。 で、せっかくなので、ネタの確保の意味も兼ねて、試しにリーダー作を買ってみることにしたんっすが、 『ナイト・キャップ』 。 割と、地味に有名だったりしますよね。 『 ジャズ・ピアノ名盤100選』 みたいな本でも取り上げられていたような? で、そもそも、この人、誰? そこから調べなければならないんっすが、ミシェル・サルダビー(1935年9月4日 - )は、フランスのジャズのピアニスト。 へぇ、ちょっと意外。 フランスと言っても、西インド諸島マルティニーク生まれらしいっすが、詳しくは Wikipedia 参照。 ぶっちゃけ、ちょっぴり猿顔なサルダビーくんなんっすが、で、最初に言っておくと、コイツはすこぶる、名盤っす。 この、クソ面倒臭そうなジャケットを僕が書こうとしたことからも、分かって頂けるかと思うんっすが、ちなみにジャケ絵のほうは先週の時点で、既に片付けておきました。 日曜日に法事があって、ほうじ茶を飲んだりしなければならないので、時間的に余裕がないな。 そんな事情から、原稿を早めに片付けたところ、えらく余裕が出来てしまって、この際、面倒なことは早めに手を付けておこうかと。 普段の仕事では考えられませんな。 とりあえず先延ばし出来るものは、可能な限り延ばして、ひたすら週末を待ちわびる。 面倒なことは、ま、来週になったら考えればいいやぁ…と。 そうして28年ほど過ごしてきた次第でありますが、とまあそんなこんなで、 『ナイト・キャップ』 。 1970年の録音で、ジャズとしては旬を過ぎた時期ではありますが、ジャズの本筋から離れたところで生きてきた人なので、ま、大丈夫なんじゃね? …と。 シンプルなトリオ編成で、ベースはパーシー・ヒース、ドラムスはコニー・ケイ。 MJQっすな。 かつて、昆布青年に “血の気の薄いチアノーゼ・コンビ” とか言われてた気がするんっすが、知的で、お洒落で、洒脱なサポートが期待出来そうな気がしないでもなく、とまあそんなことで、では演奏を聞いてみることにしましょうかぁ。

 このアルバムは最後の1曲を除いて、すべてサルダビーのオリジナルで占められているんっすが、まずは 「トラベリン・オン」 。 この演奏を聴いてすぐに思い浮かんだのがレイ・ブライアントとバド・パウエルだ。 そんなふうに日本語ライナーで小川隆夫クンが書いておりますが、ブライアントに、同じような名前のアルバムがありませんでしたっけ? えーと、 これ っすな。 台風のフー子。 今、思い出しても涙が出てしまいますなぁ…。 で、隆夫クンいわく、乗りはブライアントで、テーマ部の繰り返し部分ではパウエルの 「ウン・ポコ・ロコ」 を連想してしまった…と。 言うほどウン・ポコではなく、ちょっとウン・ポコといった感じなんっすが、そのテーマというのが、めっちゃエエやんけ! 何と言うか、言葉で説明するのは難しいんっすが、めっちゃエエやんけ! 適度にファンキー、ちょっぴりラテン。 で、隆夫クンが言うように、繰り返しが印象的だったりします。 ちゃーんちゃーんか、ちゃちゃちゃーん、ちゃちゃっちゃーん、ちゃちゃ♪ 敢えて言葉で説明すれば、こんな感じになるんっすが、その間に、ちゃんちゃんちゃん、テレレレレ♪ (上昇) ちゃんちゃんちゃん、テレレレレ♪ (下降) そんなパートが挟まれるという。 最初と最後だけでなく、アドリブの合間にもテーマが顔を覗かせるという構成で、結果、ピアノ・ソロの印象がちょっと希薄だったりするんっすが、アドリブに入ってからは快適にスイングしていくが、間の取り方というかアクセントに独特なものを認めることが出来るな…と。 ブルースでは無いけれど、どことなくブルージーに響くところとエキゾチックなメロディを持っているところがいかにもサルダビーらしいな…と。 ちなみに、チアノーゼ・コンピもけっこう頑張ってくれていて、特にコニー・ケイが、ビシビシと厳しいツッコミを入れてくれていて、トリオとしてのまとまりも、非常に良好なものがあるな…と。 非常に快調な立ち上がりであると、高く評価していいのではなかろうかと。

 で、次。 アルバム・タイトル曲の 「ナイト・キャップ」 。 夜、寝るときに頭に被る こんなの ではなくて、寝る前にお酒を飲むと、寝つきが良くなるという欧米の文化。 この寝酒のことも 「ナイトキャップ」 と呼びます。 こちらのほうでありましょうな。 いかにもアフター・アワーズな雰囲気のアレで、始まってしばらく、パーシー・ヒースによるベースの無伴奏ソロが繰り広げられることになります。 ディープでアーシーで、地味地味。 必ずしも、僕の趣向に合致するものではありませんが、そこにコニー・ケイのドラムスと、サルダビーのピアノが入って来て、一気にブルースなムードになる瞬間が、たまらんっ♪ 同じブルースでも、例えばソニー・クラーク等に比べると、妙なバウンス感覚がサルダビーのプレイからは認められ、そこに彼の血のようなものを感じてしまう。 そう、隆夫クンは書いておりますが、そっかぁ? 別に妙 (みょう) でも何でもなくて、妙 (たえ) なる調べであるな…と。 そんな気がするんっすが、で、途中からテンポが速くなって、次第にスインギーになっていく展開が、たまらんっ♪ 最後、演奏が完結せずに、フェードアウトで終わっちゃうのがちょっと残念なんっすが、ノリノリで弾いているうちに、収拾がつかなくなってしまったんでしょうな。 いずれにしろ、こんな 寝酒 とは正反対な、とってもお洒落な “ナイト・キャップ” なのでありました。

 で、次。 「アイム・フリー・アゲイン」 。 後半アップ・テンポになった 「ナイト・キャップ」 から一転して、今度はスロー・バラードとなる。 この流れが、たまらんっ♪ 歌詞を付けたらいいスタンダードになりそうなサルダビーのオリジナルだが、これこそ彼の持つソフィスティケーションな洒落たフィーリングを最大限に発揮した魅力的な演奏であるな…と。 マジで作曲のセンスも半端ないっすな、サルダビー。 猿を荼毘に付すのが惜しいくらいの逸材なんっすが、ちなみにこれを書いている今現在、まだ生きてるみたいっす。 で、演奏のほうはというと、これはもう、ロマンチズムの極み。 ロマンに溢れ、マロンに栗で、メロンに瓜。 そんな世界が展開されていて、しばし、言葉を失ってしまいます。 ・・・。 ということで、次。 あ、そうそう、先週の法事なんっすが、昼飯は桑名駅前のほうの 「歌行燈」 でありました。 これ で言うと、味暦「桑名」/全9品 4,000円というコース? 6,000円と言ってたような気もするんっすが、飲み放題付きにしたんっすかね? だとすれば、参加者の大多数がクルマで来ていて、誰も酒を頼んでなかったような気がするので、まったく元が取れなかったのではなかろうかと。 幹事役の兄ちゃんがウーロン茶を頼みまくっていたのは、そういう事情なのかも知れません。 ちなみに、「蟹と旬野菜の天ぷら」 ではなく、「海老の何かの野菜の天麩羅」 だったんっすが、塩で食べるというお上品なスタイルで、向かいの席のおっさんが 「塩かよ…」 と、ぶつぶつ文句を言いながら、刺身用のワサビを付けて食っておりました。 これだから、員弁(いなべ)の、イナカもんは…。 で、そっちに海老を使っちゃったからか、あるいは季節的な配慮なのか、「海老ちらし寿司」 は 「松茸ご飯」 に変更された模様でありますが、国産牛肉の朴葉味噌焼き、めっちゃ美味ぇぇぇ♪ …ということで、とっても満足な法事でありました。

 ということで、次。 「マヤ」 。 玉を転がすような美しいイントロから、ミディアム・テンポの可愛らしいメロディが登場するミディアム・テンポのジャズ・ワルツ。 そういうアレだったりします。 ミディアム・テンポを2回も言う必要はないと思うんっすが、書いていることには全面的に合意。 可愛らしいメロディっすよね、確かに。 スタンダード・ナンバーと言われても、誰からも異論が出ないレベル。 コニー・ケイとパーシー・ヒースのサポートも、めっちゃセンシティブだし、で、サルダビーのソロは、すべてのフレーズが “歌” になっている。 そう、高く評価することが出来て、イケるやん♪ で、次。 「ナイト・ボヤージ」 。 これがもし 「ナイト親父」 だったりすると、めっちゃ寝酒をしていそうなんっすが、本作中もっともリズミックな1曲。 「チュニジアの夜」 を思わせるシンバルが “ナイルの旅” をイメージさせる。 そういうアレだったりしております。 単純なリフから構成されたブルースだが、リズム・セクションのスインギーなバック・アップによって、サルダビーはここ一番の乗りの良さを示していく。 途中でフィーチャーされる長尺のベース・ソロはヒースの実力を示すもので、チンチキチンチキと鳴るケイのドラミングと共に、MJQ的響きも感じられるな…と。 マジQ太郎っすよね、MJQ。

 で、アルバムをラストを飾るのは、エリントン・ナンバーの 「サテン・ドール」 。 どうせなら、最後まで自作曲で頑張って欲しかったところなんっすが、演奏そのものの出来は極めて良好なので、ま、いっかぁ…と。 シングル・ノートを中心とした前半とコード・ワークを多用した後半のピアノ・ソロは、サルダビーの朴訥さをもっとも端的に示したもので、とまあそんなこんなで、今日のところは、以上っす。

【総合評価】 かつては、ジャズ喫茶の人気盤だったそうっすが、それも納得の仕上がり。 サルダビーのオリジナルが、どれも完璧に素晴らし過ぎるし、演奏のほうも、イケるやんけ! そんな1枚だったりして、超オススメ☆


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