AMSTERDAM AFTER DARK (TIMELESS)

GEORGE COLEMAN (1978/12/29)

AMSTERDAM AFTER DARK ←click!!


【パーソネル】

GEORGE COLEMAN (ts) HILTON RUIZ (p) SAM JONES (b) BILLY HIGGINS (ds)
【収録曲】

(01-03) AMSTERDAM AFTER DARK / NEW ARRIVAL / LO-JOE
(04-06) AUTUMN IN NEW YORK / APACHE DANCE / BLONDIE’S WALTZ
【解説】 ( 2022年10月30日更新 / 連載 1,511回 )

 ( 前回 までの粗筋 ) 。 加古川にUMA 『ムッシー』 出現!! え? 加古川なのに、ムッシー? 加古川なら、カッシーちゃうん? ムッシーなら、武庫川ちゃうん? ろくろく中身を見ないで、そんなことを書いてしまったんっすが、改めて内容を読んでみた結果、ああ、なるほど。 加古川という川の河口付近の高砂市側にある向川公園というところで目撃されたから “ムッシー” 。 そういうワケだったんっすな。 納得。 が、よくよく考えてみると、やっぱりちょっと変っすよね。 向川公園で目撃された…と言っても、公園の中を猿人バーゴンのような謎の生物が徘徊していたワケではなく、加古川という川の中をネッシーのような巨大な水棲恐竜(?)が泳いでいるのを、向川公園にいる人が見つけた。 そういう話らしいっすからね。 UMAが出現したのは、あくまでも加古川なので、やっぱり “カッシー” が正解なような? 向川公園で “カッシー” を見た人を “向川公園人” と名付ける分には、特に異論はないと思うんっすが、UMAが “ムッシー” というのは、ちょっと…。 このネーミングには、高砂市側にある向川公園。 この部分が絡んでいる気がするんっすが、もしこれを “カッシー” と名付けてしまったら、世間一般には 「加古川の恐竜」 という印象が強くなって、加古川市のほうが有名になってしまって、高砂市は埋没してしまいます。 ただでさえ、 「相撲部屋みたいやん」 と馬鹿にされて、悔しい思いをしているのに、UMAの手柄 (?) まで加古カス ( ← “加古川のカス” のこと) に取られたら、まさに踏んだり蹴ったり。 何でもいいけど、この 「踏んだり蹴ったり」 という日本語も、ちょっとおかしいっすよね。 ただの加害者やん! 不運や災難などが続き、さんざんな目にあうこと。 そういう意味を表すのであれば、踏まれたり蹴られたり、ああん♪ あ、特殊な性癖が出て、ちょっと感じてしまいましたが、そういうマゾっ子メグちゃんでない限り、そっちの表現のほうが正しいのではなかろうかと。

 で、この高砂市民の策略による “ムッシー” というネーミングなんっすが、これは桑名市民にも一筋の光を与えてくれますよね。 もし、桑名で謎の生物が発見されたら、 “クッシー” と名付けよう! そう考えている地元民は、もし、桑名出身の相撲取りが誕生したら、その四股名は “走井山 (はしりいざん) ” にしよう! そう考えている地元民よりは多いと思います。 “走井山” を推しているのは、僕一人ですからね、いや、多分。 走井山公園 。 いいところなんっすが、相撲取りというよりは、陸上選手向けのような? で、陸上選手はあまり、四股名を付けないような? 瀬古利彦 ( ← 桑名出身) がいきなり走井山に改名したら、ちょっとビビりますよね。 ま、そっちのほうは諦めるとして、 “クッシー” 。 これもちょっと問題アリなんっすが、屈斜路湖の “クッシー” のパクりじゃん! そう言われると、反論できません。 うーん…。 そこで、高砂方式、発動。 謎の水棲恐竜には揖斐川の河口に出没して貰うことにして、揖斐川の “イッシー” で、どや!?

  池田湖の “イッシー” 「駄目です。」

 じゃ、謎の水棲恐竜は長良川に移動して貰うとして、長良川の “ナッシー” で、どや!?

  某・梨の妖精 「パクリなっしー!」

 ・・・ 。 となると、残された道は木曽川の “キッシー” しかなかったりするんっすが、そんなん、既に岸和田にいそうな気がするし。 で、 「岸和田 キッシー」 でググってみたら、 こんなの が出て来てしまったんっすが、これのどこに “キッシー” 要素が? ヤンキー要素は見当たりそうなんっすが、僕の趣向にまったくそぐわないジャンルだし、そんなUMAなら、別に出没してくれなくてもいいや…。 そんな気もしてきました。 で、 『ムー』 2022年11月号 。 表紙には書かれていないんっすが、もっと凄い記事もありました。 「弥勒菩薩」 の正体はウィンドウズ95だった!! は? はぁ? Ha-Ha-Ha! イッツ・ナイス・ジャパニーズ・ジョーク♪ 誰がそんなことを言ってるのかと思ったら、島田秀平。 ああ…。 お笑いコンビ 「号泣」 の片割れっすよね。 もう片方のほうは名前すら知らなかったりするんっすが、 島田秀平のほうは、お笑いというより、都市伝説テラーとして有名だったりします。 『溜池Now』 の 都市伝説サミットの回 に出てましたよね。 おお、しょこたん、可愛ぇぇ♪ が、それ以外の面子 (メンツ) が怪しすぎるんっすが、もう、メンツカツにして食ったら、思いっきり下痢になっちゃいそう。 で、島田秀平は 『超ムーの世界R』 ではMCを務めてますよね。 MCとか、M.C.ハマーでなければなれない職業だとばかり思っていたんっすが、秀平ごときでもなんとかなるんっすな。 で、この番組の秀平、都市伝説ネタはイケるんっすが、手相占いは、つまらん…。 ぶっちゃけ、サイキック芸人キックの “ハイテンション・タロット” よりは、ちょっとだけマシというレベル。 あれは面白くない上に、見ているこっちが恥ずかしくなりますからね。 そういう芸を人前で披露するのはやめて頂きたいんっすが、そもそも、サイキック芸人キックって、何や? そんなのが許されるんだったら、俺は “まいっちんぐ芸人マチコ” を名乗るぞ! そういう奴が出て来ても不思議ではないっすよね。 ま、勝手に名乗ればいいと思うんっすが、ただひとつ、それを言うなら、 “まいっちんぐ芸人ちんぐ” やろ? …と。

 ということで、「弥勒菩薩」 の正体はウィンドウズ95だった!! このタイトルを見た時、 「ねぇよ!」 と思ってしまったんっすが、じっくりと中身を読んでみると、なるほど。 あながち、絶対に無いとは言い切れないな。 そんな気が、するわけねぇ! ちなみに弥勒菩薩というのはアレです。 これ 。(前略) ゴータマの入滅後56億7千万年後の未来にこの世界に現われ悟りを開き、多くの人々を救済するとされる。 ここのところがポイント。 56億7千万年後とか、そんなに待てるか! …と。 僕なんか、明日か、明後日か、ささってか、しあさってには届くであろう通販の音楽CDですら待ちきれなくて、ダウンロード版を買って、それで大ハマりしましたからね。 56億7千万年後とか、とても待てないので、何とかして、もうちょっと早くこの世界に現れて貰うことは出来ないものか。 人々は考えました。 例えば、明治時代の神学者、大石凝真素美。 おおいし・ぎょうしんそび? あ、 「おおいしごり・ますみ」 って読むんっすか。 んーと、 大石凝真素美 。 おお、ちゃんと Wikipedia、あるやん。 『ムー』 が勝手に考えた想像上の生き物というワケではなさそうなんっすが、真素美ちゃんいわく、56億7千万年後というのは釈迦の謎かけで、 「年」 というのは 「稔」 であり、また 「念」 であり、これは呼吸 = 息のことをさしている…と。 つまり、〜年後というのは釈迦生誕時からの呼吸回数を示している…と。 なるほど。 謎かけと来ましたか。 釈迦 = ねづっちの弟子説。 これはかなり新しいっすよね。 で、ここからはちょっと計算が大変なので、一息いれて、

 ふぅー。 ふつうの大人は1分間で36回呼吸をする…と。 この 「36」 という数字は 「みろく」 とも読め、すなわち 「弥勒」 を意味する…と。 おおっ! いきなりつながりましたな! が、計算のほうは、まだまだ続きます。 (中略) 呼吸回数56億7千万回を時間に換算すると、ざっと3000年後。 釈迦の生誕から3000年後に弥勒の世があまねく世界に浸透するぞ…っと。 おお! だいぶ近くなりましたな。 本来は 「ゴータマの入滅後」 である筈なのに、敢えて 「釈迦の生誕から」 に解釈を変更したのは、恐らくアレ。 死んじゃったら呼吸が止まるのに、そこから呼吸の数を数えるのって、変じゃね? そう、難癖を付けられることを想定して、先手を打ったのでありましょう。 真素美ちゃん、なかなかやるな! いずれにしろ、56億7千万年後が3000年後に。 ぐんと現実味を帯びた数字になってきましたが、釈迦の生誕から3000年後って、それはつまり…、今 (明治時代) でしょ! そう喝破したワケでありますな、河童は。 いや、河童は関係ありませんな。 真素美ちゃんは。 が、ふつうの大人は1分間で36回呼吸をする。 この部分がちょっと気になるんっすよね。 呼吸数安静時の健康な成人の平均的な呼吸数は、毎分12〜20回。 ぜんぜん、36回ちゃうやん! この表にあるように年齢によって呼吸の回数は変わるし、過呼吸の人はもっと増えるだろうし、そこに岩崎良美が絡んで来たりすると、話はもっと複雑になるだろうし。 呼吸を止めて1秒、あなた、真剣な目をしたから〜♪ 呼吸の度に1秒、真剣な目をしたりすると、ここでもかなりの誤差が出て来ますよね。 そんな曖昧な数値に基づいて弥勒菩薩が出没するとはとても思えなくて、真素美、信用ならん…。

 となると、信じられるのは島田秀平だけになってしまいます。 で、秀平クンはどんな説を唱えているのかというと、56億7千万じゃなくて、56億7千万じゃね? なるほど、 「にん」 と 「ねん」 を聞き間違えるというのは、ありえる話っすよね。 少なくとも、洗剤のアタックを買ってきて! …と頼んだのに、アリエールを買ってくるよりは、ありえると思います。 アタックとアリエール。 「あ」 しか合ってねぇ。 間違えるとか、ありえねぇ。 が、56億7千万と、56億7千万。 話すときに語尾の声が小さくなる人だと、十分に聞き間違えますよね。 で、秀平クンいわく、世界の人口が56億7千万人に達した時、弥勒がこの世に現れるんじゃね? …と。 おおおお! なんて新しい解釈。 「ゴータマの入滅後」 と言う部分が、まったく何の意味もなくなってしまうほど、斬新な発想でありますが、でも、しょうがないじゃん。 「にん」 と 「ねん」 を聞き間違えちゃったんだから! 人間だもの、そういうミスはありますよね。 で、世界の人口が56億7千万人に達したのは、いつのことかと思って調べて見たら、1995年。 それってもしかして、ウィンドウズ95が登場した年じゃね? うぉぉぉぉぉぉぉ。 完全に繋がったぁぁぁぁぁぁぁ! 無論、根拠はそれだけではありません。 ウィンドウズ95を開発したのは Microsoft 。 Micro をアナグラムによって入れ替えると、Miroc = ミロク。 うぉぉぉぉぉぉ! インターネットのURLのアドレスの先頭は www 。 ユダヤの数秘術で w は 6 に置き換えられるので、www = 666 。 ろくがみっつで、ミロク。 うぉぉぉぉぉぉ! “偶然” も、これだけ重なると “必然” であるとしか思えなくて、これはもう間違いなく、弥勒菩薩 = ウィンドウズ95…なワケ、あるかーい!

 ということで前回、博物館でハニワなどを堪能したところまで話が進んでいたかと思います。 で、2日目は松江市内に宿を取ったので、一畑電車に乗って、出雲から移動。 片側の座席は進行方向を向いているんっすが、片側は窓を向いている。 そんな、ちょっぴりリゾートっぽい車両が来ました。 が、向きが変じゃね? 一畑電車は宍道湖の北側を通るので、出雲から松江に向かう場合は、進行方向に向かって右側のほうが眺めがいい筈なんっすが、左側の座席が窓を向いているんっすよね。 あー、これ、やっちまった? 一畑電車の人、いちばん最初に電車を乗せる向きを逆にしちゃった? 指南車の悲劇? 指南車というのはアレっす。 これ車がいかなる方向に向きをかえても車の上に立つ仙人像の手は常に南を指している車。 ただしこれ、別に仙人が地磁気を感知して自力で南を指しているワケではなく、最初に人間が南の方向を調べて、そちらを指さすようにセットしてやらないとアカンのっすよね。 間違えて北を指すように置いてしまうと “指北車” になってしまって、「あいつ、ずーっと “北” を指してるやん!」 と、後ろ指をさされる。 そんな悲しい状況になってしまいます。 一畑電車の人の間違って、宍道湖側ではないほうの景色がよく見える方向に電車を置いてしまって、あーあ…。 こりゃ、始末書モノっすよね。僕なんか会社の車の左側面にぶつけられて、こちらにまったく何の非もないにも係わらず、始末書を書かされましたからね。 あまりにも理不尽なんっすが、一畑クンの場合は、ま、書かされて当然かと。

 …とか思っていたら、途中の一畑口駅でスイッチバックして、進行方向が反対になって、窓を向いた座席からは宍道湖がよく見えるようになって、うーん、なるほど。 もし、これで始末書を書かされていたら、半端ない理不尽さを感じることになるところでしたな。 とまあそんなこんなで、松江しんじ湖温泉駅に到着〜。 この駅とJRの松江駅は2キロ強離れていて、歩こうとすると30分くらいかかったりするんっすが、松江しんじ湖温泉駅から松江城へは余裕で歩いていくことが出来ます。 んなことで、


< 松 江 城 > (←クリックすると写真ページに飛びます。)

 松江城松江城は、全国で現存する12天守のうちのひとつで “国宝” です。 唯一の正統天守ともいわれている国宝の天守をはじめ、うんぬん。 国宝に指定されている城は姫路城、彦根城、松本城、松江城、犬山城の5つしかないので、かなり貴重。 残念ながら桑名の しぐれ城 は、選から漏れました。 で、松江城。 前にも一度、来たことがあるので、今回は軽く散策するに止めたんっすが、何でもいいけど、余所の城って、どうして小高い山のてっぺんみたいなところに建ってるんっすかね? 辿り着くのに、疲れるやん! 桑名城跡 ( ← not しぐれ城 ) は、海抜0m地帯みたいなところにあるので、とっても楽なんっすが、ま、小高い山のてっぺんみたいなところに建ってる分、天守閣からの眺めも良好だったりするんすけど。 で、松江城の場合、天守閣だけでなく、堀も広いし、石垣も立派だし、凄いなぁ…と。 近くには 興雲閣 という洋館まであったりします。 桑名城跡の近くにだって、 六華苑 という立派な洋館が、あらぁ! 「コーウン閣」 とかいう、ウンコっぽい名前とはワケが違うんだらぁ! あ、コーフンのあまり、怪しい三河弁みたいになってしまったんっすが、都会度とか、お城の立派さとかでは到底、桑名は松江に太刀打ち出来ないので、こういうところで対抗心を燃やしてしまったんっすが、で、松江城の天守閣。 先ほど、唯一の正統天守と書いてあったのが、ちょっと気になるんっすが、じゃ、何か? しぐれ城の天守閣はパチモンだとでも言うんか? ま、それは言われても仕方がないんっすが、調べてみたら、城が戦いの中でその機能を求められて戦国時代、天守閣は大きな屋根の上に物見台としての櫓を乗せた構造 (望楼型) でした。この構造を今に伝えているのが 『松江城』 なのです。 そういう事みたいっすな。 個人的に 「蕎麦ぼうろ」 とか 「玉子ぼうろ」 とか、そんなに好きではなかったりするので、 望楼型と言われても、さほどソソられるものはないんっすが、ま、貴重なんでしょうな。 で、詳しくは この動画 を見て貰うとして。 ほぉ、堀尾吉晴っすか。 あまり聞いたことがなくて、よく分からないんっすが、ま、頑張ったんじゃないの? ちなみに桑名藩の初代藩主は本多忠勝なんっすけどね。 フフン!


< 塩見縄手散策 > (←クリックすると写真ページに飛びます。)

 ということで、松江城はおしまい。 で、後は 城山稲荷神社 をチラッと見て、先ほどの動画にも登場していた 塩見縄手 の辺りを軽く散策。 小泉八雲旧居は前に来た時に見たんっすが、意外とショボかったので、今回はパス。 ま、所詮は作家の家っすからね。 サッカー選手ほどは稼いでないので、ま、こんなものかと。 あと、田部美術館 というのもあったんっすが、 「茶の心」 とか、あまり興味がないので、パス。 若くて、いい嫁を貰ったなぁ。 …とか、恐らくそんな感じっすよね。 加藤茶の心。 「遺産狙う女」 から 「良い奥さんもらった」 へ 。 評価が180度代わりましたよね。 野菜、魚が嫌いな茶さんのため、料理教室で味つけも学んだ。 それはちょっと、どうかな? …と。 結婚当初は、ブログには、およそ高齢の夫に出す料理と思えない、トンカツやステーキの写真を次々アップした。 そういう状況だったようっすが、そのままでよかったかな? …と。 個人的にはそんな気がしないでもないんっすが、果たして 「茶の心」 は、如何に? …とまあ、そんなこんなで、島根の旅は、おしまい☆

 んなことで、今日はジョージ・コールマンっす。(新主流派・モードジャズ編) で取り上げるのは、ま、無難かな…と。 で、知名度はありますよね。 マイルス・デイビスのクインテットに入っていたし、あのハービーハンコックの 『処女航海』 にも参加しているし。 が、日本での人気は今ひとつっすよね。 何だか一本調子で、今ひとつ盛り上がらないプレイをするオッサン。 そんな印象しかなかったりします。 が、例えば 『処女航海』 のタイトル曲の場合、コールマンのダラダラとした前座プレイがあってこそ、フレディ・ハバードの超絶ソロが輝くのであって、そういう意味では十分、世の中の役に立っているぞ…っと。 が、自分のリーダー作となると、これといったものがなくて、 『塩サバ通信』 連載 1,510回の歴史の中で、今まで1枚も取り上げたことがなかったり。 そういえば、そういうヤツもいたなぁ。 …と、ある日、なんとなく思い出して、ネタ用にアルバムを買ってみることにしたんっすが、んーと、 これ とか。 CDだと届くのは明日か、明後日か、ささってか、しあさってか。 とてもそんなに待てないので、MP3のダウンロード版を買うことにしたんっすが、値段もこっちのほうが安いし。 で、落としてみたら、全6曲の筈なのに、何故だか12曲くらい入っているし、演奏者は VARIOUS ARTISTS になっているしで、ん? で、聞いてみたら、こんなの、ジョージ・コールマンじゃない! これ やんけ! で、これが意外といい出来だったりしたら、思わぬ拾いものだったりするんっすが、糞つまんねぇ…。 仕方ないので新たにCDのほうを買うことにしたんっすが、んなことで、 『アムステルダム・アフター・ダーク』 。 ジャケットでは、いかにもアムステルダムな建物をバックに、コールマンがニカッと笑っていたりするんっすが、実は普通にニューヨークでの録音だったり。 「※ジャケットはイメージです」 なんっすな。 で、これ、別バージョンのジャケットもあるみたいで、どちらがオリジナルなのかは知りませんが、書きやすさを考慮した結果、これじゃないほうを採用することにしました。 で、中身のほうはというと、1978年のタイムレス盤。 オランダのレーベルっすよね。 やっぱ、アムステルダムじゃん! 何だかよく分からないんっすが、ベースはサム・ジョーンズ、ドラムスはビリー・ヒギンズ。 A級っすな。 で、ピアノはヒルトン・ルイス。 寡聞にしてよく知らんのっすが、田中英俊クンが書いたライナーノートによると、プエルトリカンで、いわゆるニューヨークのプエルトリカン = ニューヨリカンなのだが、ラテン・ジャズ一辺倒というわけではなく、トラディショナルなジャズ・シーンでも存在感溢れるミュージシャンなんだそうで。 プエルトリカンということは、プエルトリコ出身? 何でもいいけどプエルトリコって、プエル・トリコじゃなくて、プエルト・リコなんっすな。 東尾理子みたいな? そうとも知らず、カップスターぁぁぁ、食べたその日からぁぁぁ、プエルトリコにぃぃぃ、トリコになりましたぁぁぁ♪ …と歌っていた僕の立場は? ま、それはそうと、プエルトリカンって、ちょっぴり 鳥幹 (とりかん) みたいやな…と。 桑名にある鶏肉屋さん、いわゆる 「かしわやさん」 なんっすが、名前がよく似ている 登里勝(とりかつ) は、トリ屋でもカツ屋でもなく、らぁめん屋さん。 元々は寿司屋だったみたいなんっすが、とまあそんなことで、メンバー紹介も終わったので、演奏のほうを。

 まずはアルバム・タイトル曲の 「アムステルダム・アフター・ダーク」 。 コールマンのオリジナルなんっすが、ベニー・ゴルソンの 「ファイブスポット・アフター・ダーク」 を意識して作られたのではなかろうかと。 冒頭、ピアノのイントロに続いて、フリーキーな、かすれたトーンのテナーが出て来て、ん? …と思ってしまったんっすが、テーマが出て来たところで普通になりました。 で、ん? これって、「カミン・ホーム・ベイビー」じゃね? 出だしのメロディはそんな感じなんっすが、そこから派生して、もうちょっと凝った感じの作りになってました。 途中で半音上がるところは、ちょっぴり新主流派だったりするんっすが、全体として哀愁味を帯びた日本人好みの美メロであるな…と。 で、そこから自然な感じでテナー・ソロへと入っていくんっすが、思いのほか、よく歌っていて、 (いい意味で) ジョージ・コールマンっぽくないな…っと。 途中、ちょっぴりフリーキーなトーンが出そうになったりするんっすが、ギリギリのところで持ちこたえているし、いや、いいっすな、こりゃ。 で、続くヒルトン・ルイスのソロはクール・ファンキーな感じ? シダー・ウォルトンっぽいというか、クドくないマッコイというか、顔が恐くないマッコイというか、実は意外と子供好きだったりするマッコイというか。 もはやそれ、ぜんぜんマッコイではないような気もするんっすが、で、最後に、ベースのソロが出て来て、ちょっぴりフリーキーな、かすれたトーンのテナーが出て来て、「カミン・ホーム・ベイビー」 派生なテーマに戻って、おしまい。 いや、これ、いいじゃん♪

 ということで、次。 これまたコールマンのオリジナルなんっすが、 「ニュー・アライバル」 。 アライバルと言えば、昔の中日ドラゴンズの荒木と井端のアライバ・コンビ + ルー大柴。 個人的に中日ドラゴンズはそんなに好きではなかったりするんっすが、中日が勝つと名古屋人が 「ちょうすいとる」 な状態になって、ウザいっすからね。 「ちょうすいとる」 というのは、 これ 。 個人的に4コマ漫画なのにオチを付けずに、次に続くみたいな展開はあまり好きではなかったりするんっすが、毎回、オチを考えるのは想像以上に大変な気がするので、ま、やむを得ないところではあるんっすけど。 コーヒーチケットをバン! …と叩き付けた、この次の展開が気になるところなんっすが、で、 「ニュー・アライバル」 。 これまたちょっぴりフリーなテナーのブロウで始まるんっすが、それに続くテーマは至極、真っ当。 意外とこの人、顔に似合わず、センチメンタルなメロディーメーカーだったりするとか? で、続くテナーのソロは、かなりモーダルというか、ちょっぴりフリーというか、わりと “攻めた” ものだったりするんっすが、懸念されていた 「一本調子」 なところはまったくなくて、実はこんな熱いキャラやったんやな…っと。 オッサンになって熟成、どころか、逆に覚醒しちゃった感じ? やや小難しい感はあるんっすが、悪くないと思います。 続くヒルトン・ルイスのソロもいい感じにニューヨリカンだし、あ、そういえば、せっかく手元に日本語ライナーがあるのに、それを丸写しするという手法を使ってませんでしたな。 で、改めて読み直してみたところ、「ニュー・アライバル」 はルイスのペンによる作品で、ハードボイルド系の曲調がとてもカッコいい。 あ、コールマンのオリジナルではなかったんっすな。 てへぺろ。 コールマンが顔に似合わず、センチメンタルなメロディーメーカーであるかのような表記は取り消させて頂きますが、で、ヒルトン・ルイスくん。 2006年にハリケーン “カトリーナ” 被災者支援のためニューオリンズを訪れていた時、路上で転倒し頭を打ってそのまま病院に運ばれたが非業の最期を遂げてしまった。 エエぇぇぇぇ…。 ここでのソロに関しては、特に触れられてないんっすが、ラテン人なわりにはクールな感じで、カッコいいっすよね。 よく聞くと、かなりのテクニシャンであることが分かるんっすが、涼しい顔で難しいソロを、いとも簡単そうに弾いてのける。 そこにシビれる!あこがれるゥ! いや、世の中には、まだまだ僕の知らない逸材がひしめいているものでありますなぁ。 でもって、ハードボイルド系のカッコいいテーマに戻って、おしまい。 ここまで、完璧やんけ!

 で、次。 「ロー・ジョー」 はコールマンの書いた循環モノで、コールマンとルイスがとにかく絶好調にスウィングしている。 コールマンは特に何か突飛な事をするわけでもなく、ただひたすらスウィングしているだけなのだが、この普通感が実にワン・アンド・オンリーで、コールマンの代わりは誰かいるだろうか? と考えてみても思い浮かばない。 そう、田中英俊クンが書いているようなアレだったりします。 いいっすよね、准看モノ。 すけべ動画のコスプレは、やっぱり准看護師だよねっ♪ 看護師ではなく、准看護師。 そこに固執する意味がよく分からんのっすが、看護師よりもドジっ娘特性を持ち合わせていそうなところにソソられるんっすかね? その気持ち、分からんでもないんっすが、で、一方、循環モノ。 シンプルなリフ・ブルース。 そういうことを言いたいんだと思うんっすが、日本人には今ひとつウケがよろしくなくて、が、こういうのがアドリブの出発点としては、よかったりするんでしょうな。 単純なだけに、ソロの発想が広がりんぐ♪ …みたいな。 広がりんぐ芸人りんぐ。 まあまあイケそうっすよね。 どんな芸を披露してくれるのかは未知数なんっすが、それだけに無限の可能性を感じさせます。 で、ここでのコールマンのソロはとにかく絶好調にスウィングしていて、続くルイスも以下同文で、ま、それはちょっと褒め過ぎな気もするんっすが、あくまでも田中英俊クンの個人的な見解だし。 で、最後、軽めなドラムスのソロがあって、循環モノのテーマに戻って、おしまい。

 で、次。 「オータム・イン・ニューヨーク」 。 ここに歌物のバラードを持ってきましたか。 個人的にはA面の2曲目か、 B面の2曲目の印象だったりするんっすが、CDだとあまり関係ないので、ま、いっかぁ…と。 で、演奏のほうは、アグレッシヴに攻めるコールマンと変幻自在にサポートするヒルトン・ルイス・トリオが素晴らしいな…っと。 カデンツァも息の長いフレーズを叩き込み、最後の最後まで唱い切っているぞ…っと。 歌うと、唄う。 個人的に 「唄う」 のほうは京唄子の顔が浮かんできてしまうので、ちょっとアレだったりするんっすが、敢えてこの漢字を使ったのは田中英俊クンなりの拘りだと思うので、ま、いっかぁ…と。 勝手に他人様のライナーノートを無断で引用しておいて、文句を言えた義理じゃないっすからね。 で、次。 コールマンのオリジナルで、 「アパッチ・ダンス」 。 アパッチというと日本では、アパッチけん 。 その印象があまりにも強かったりするんっすが、アパッチけん、廃藩置県。 “世界2大・○○○ちけん” のひとつっすよね。 で、これ、スタンダード 「チェロキー」 のコード進行を基に書かれたものなんだそうっすが、となると、それをモード奏法でやるというのは、ちょっと微妙。 どうするのかと思ったら、ここでのコールマンはきっちり、ビ・バップのアイテムで勝負しています。 ソロが進むに連れて、次第に 「ちょうすいてる」 感じになるんっすが、あ、こりゃ、間違いなく 「チェロキー」 のコード進行やな…と。 こんなヴァーティカルなコールマンのソロ、初めて聞いた気がするんっすが、その意外性が、いいな♪ …っと。

 んなことで、ラストっす。 「ブロンディーズ・ワルツ」 はコールマンのペンによる作品で、ワルツ・タイムの美しい楽曲だぞ…っと。 このテの演奏はやはりルイズのファンキーかつラテン系特有の泣きのピアノが素晴らしい。 ヒギンズのソロの後、エンディングではコールマンをフィーチャーしたエンディング処理で盛り上げるぞ…っと。 そういうアレだったりして、ということで、今日のところは、おしまい。

【総合評価】 今までのジョージ・コールマン感を払拭する、コールマンのコンロで湯を沸かしてそうな、コールマンのランタンで周囲を照らしてそうな、コールマンの寝袋にくるまってそうな、そんなワイルドなコールマンの姿がありました。 もう一本調子とは言わせない、魂の一本背負い、とりゃー!


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