THE CENTAUR AND THE PHOENIX (RIVERSIDE)

YUSEF LATEEF (1960/10/4,6)

THE CENTAUR AND THE PHOENIX ←click!!


【パーソネル】

YUSEF LATEEF (ts,fl,arghul, oboe) KENNY BARRON (arr)
RICHARD WILLIAMS (tp) CLARK TERRY (tp,flh) CURTIS FULLER (tb)
JOSEA TAYLOR (bassoon) TATE HOUSTON (ts)
JOE ZAWINUL (p) BEN TUCKER (b) LEX HUMPHRIES (ds)
【収録曲】

(01-03) REVELATION / APATHY / EV'RY DAY (I FALL IN LOVE)
(04-07) THE CENTAUR AND THE PHOENIX / IQBAL / SUMMER SONG / THE PHILANTHROPIST
【解説】 ( 2023年01月22日更新 / 連載 1,521回 )

 浣腸されて 緊張しまくり 建長寺。 (北鎌倉にて、詠めり。) 季語は 「浣腸」 、季節は 「冬」 。 どうして冬なのかというと、冬にスキーでコケて、脚の骨を折って、入院して、手術することになった前の日の夜に浣腸されたからなんっすが、いやあ、暖かい冬でありましたな。 ずっと病院の中にいて、暖房が効いていたから暖かかっただけで、もしかしたら外は寒い冬だったのかも知れませんが、病院の看護師さんとかも基本、温かい人ばかりでありました。 若くて可愛いギャルが多かったし。 唯一、アカンかったのがリハビリの兄ちゃんだったんすが、いつものお姉さんがお休みで、一日だけその人が担当だったんっすよね。 その兄ちゃんはずっと人妻患者に掛かりっきりで、僕は無視され、放置され、何の指示も与えられないまま終わってしまったんっすが、あー、思い出したぁ。 思い出して。今更ながら、ムカついてきたぁ。 ま、人妻相手にキャッキャ、ウフフしているほうが楽しいに決まっているんっすが、真面目に働け! 看護師さんを見習え! 看護師さんも爽やか好青年のサバくんとキャッキャ、ウフフしているほうが楽しいに決まっているのに、仕事に徹して、敢えて事務的に接してくれたんっすよね。 それがプロフェッショナルの真の姿だと思うんっすが、そんな看護師さんが手術の前日、 「今日は夕食は抜きです!」 エエぇぇぇ…。 食べるだけが楽しみなのに、どうしてそんな、意地悪するん? 更に追い打ちをかけて、「で、夜、お休みになられる前に、浣腸します。」 エエぇぇぇ…。 そんな趣味、無いのにぃ…。 僕はわりと変態には理解があるほうだと思うんっすが、SMと、スカトロと、パンストフェチだけは理解不能で、パンストフェチを変態扱いすんなぁぁぁ! …と、その筋の人から文句を言われるかも知れませんが、パンツと靴下を一体化すんなぁぁぁぁ! …と、反撃したくなっちゃいます。 パンツはパンツ、靴下は靴下、メリハリが大切なんじゃぁぁぁ! で、パンツはメリヤスが最高なんじゃぁぁぁぁ! メリヤス、いかにも安っぽくて、いいっすよね。 メリヤスというのは日系2世、メリー康子 (やすこ) の愛称…ではなく、メリーと康子では、どっちも名前なので、違うに決まっているんっすが、あ、でも、 「やすこ・けいこ」 みたいな万歳コンビという可能性はありますな。 で、試しにメリー康子でググってみたら、藤島メリー泰子さんが死去 ジャニーズ事務所名誉会長。 あ、めっちゃ有名人やん! メリー喜多川の本名は、藤島メリー泰子だったんっすな。 よくよく考えたら村上 “ポンタ” 秀一がアリなら、メリー泰子やメリー康子も、ぜんぜんアリなんっすが、ま、それはそうと、メリヤス。 メリヤス (莫大小・目利安) とは、編み物 (ニット) の古い呼び名。 メリヤス編み (平編み・天竺編み) で編んだ生地、またはそれらの生地を使用した製品を指す。伸縮性に優れ、靴下類や下着類、手袋や帽子など日常衣類の多くに利用されている。 え? メリヤスって生地の名前じゃなくて、編み物なん? メリヤスのパンツって、毛糸のパンツなん? そうとも知らず、メリヤスのパンツ = ペラペラの安っぽい生地のパンツ。 そう信じて疑わずに今まで生きてきてしまったんっすが、となると、 パンツはメリヤスが最高なんじゃぁぁぁぁ! …とは、ぜんぜん思えなくなってしまうんっすが、SMと、スカトロと、パンストフェチ、それにメリヤスのパンツ好き。 僕の “理解出来ない性癖リスト” に、新しい歴史が追加されました。

 で、手術の前日の突然の浣腸宣告。 これは別に看護師さんの趣味によるものではなく、手術の前に麻酔をする → 肛門の括約筋が活躍出来なくなってしまう → 漏らす。 そういう事態が想定されるので、それを事前に防ぐ為の手段ではないかと思われるんっすが、なるほど。 そんな事態になれば、手術する医者は臭くて汚くて大変だし、僕は僕で尊厳を傷付けられるし、何のメリットもないっすよね。 が、事前に浣腸さえしておけば、僕が尊厳を傷付けられるだけで済むので、医療機関側には何のデメリットもありません。 なるほど、そりゃ、浣腸するよな。 納得のいく話なので、僕はその提案を受け入れることにしたんっすが、ま、提案というか、拒否権を与えられない通告のようなものだったんっすけど。 それにしても、看護師さんは大変っすな。 「浣腸」 などという恥ずかしい言葉を人前で口に出さなければならないとか、何と言う羞恥プレイ。 マキちゃんには勤まりませんよね、多分。 マキちゃんというのは僕が中学生だった頃、同じクラスだった女子生徒なんっすが、ある日、国語の授業で教科書に載っていた 「詩」 を朗読する役目に指名されました。 その詩の冒頭が 「おち○ちんを忘れて うまれて来た子だ」 。 そういうアレだったんっすが、マキちゃんは 「おち○ちん」 という、人前で口に出すのが恥ずかしい単語を、どうしても人前で口にすることが出来ず、もじもじして、真っ赤になって、うつむいて、お陰で授業が5分ほど停滞してしまいました。 わりと捌けた性格のキャラだったので、そんなに恥ずかしがるのがちょっと意外で、正直、ちょっと萌えました。 教師のオッサンはニヤニヤして事態の進展を見守っているだけだし、さ、どうする、マキちゃん? そのまま沈黙を貫き通すワケにもいかず、意を決して、マキちゃんが消え入りそうな声で、 「お…ち○ちん…」 と口にした瞬間、教室内から 「おおっ」 という声が上がったりしたんっすが、アンパンマンで鉄火のマキちゃんが登場すると、あの時のマキちゃんを思い出したり。 で、看護師さんも、例えそれが正当な医療行為だとしても、その単語を口にするのは、さすがにちょっと恥ずかしいのか、 「浣腸します。」 と、感情を込めない極めて事務的な口調で僕に告げたんっすが、つまるところ、手術前夜の浣腸は、「漏らす前に、出す」。 そういう意味合いがあるんやな…と。

 あ、先ほどの台詞は大正漢方胃腸薬の田中邦衛みたいに言って頂きたいんっすが、何、それ? …と、ぜんぜんピンと来ないヤングな若者の為にリンクを貼っておくと、これ 。 食べる前に、飲む。 かんぽ、かんぽかんぽ、かんぽー♪ 漏らす前に、出す。 カンチョ、カンチョカンチョ、カンチョー♪ ということで ( 前回 までの粗筋) 。 桑名駅で予約した切符を受け取れなくて、サバくん、ピンチ! が、名古屋駅で何とかなった。 ということで、無事、鎌倉に到着〜。 鎌倉って、どの辺に何があるのか、あまり把握してなかったんっすが、ざっと調べた感じ、鎌倉駅の周辺には鶴岡八幡宮くらいしかなさそうで、昼飯まで間が持たなさそう。 北鎌倉駅の近くには寺がいくつかあるので、何とかなりそう。 んなことで、北鎌倉駅の周辺を散策 → 大船駅で昼飯 → モノレールで湘南に移動 → 水族館でサカナを愛でる → 江ノ島の宿にチェックイン → 江ノ島でイルミを愛でる。 で、翌日、長谷駅の周辺を散策 → 鎌倉に移動 → 鶴岡八幡宮を散策して昼飯を食って、帰る。 そういうプランを立ててみました。 んなことで、まず手始めは北鎌倉。 駅から近い円覚寺に行こう。 明月院にも行ってみよう。 建長寺は駅からちょっと離れているので、パスしよう。 そんな予定だったんっすが、時間に余裕がありそうなので、せっかくだから建長寺にも行ってみようか…と。 んなことで、行ってみました。 浣腸されて 緊張しまくり 建長寺。 季語は 「浣腸」 、季節は 「冬」 。どうして冬なのかというと、冬にスキーでコケて、以下略。 そんな個人的な理由で季節を決めてエエんか? 季語は 「緊張」 、季節は 「夏」 。 そっちのほうがエエんちゃうか? そう言われると、そんな気がしてきたんっすが、緊張の夏、日本の夏。


< 建長寺 (その1) > (←クリックすると写真ページに飛びます。)

 ということで、建長寺の冬。 春は桜が綺麗みたいなんっすが、冬はわりと殺風景。 あ、でも、門があるから! 門があれば、おくち、くちゅくちゅ、モンダモンだもん♪ ということで(写真・いちばん上)総門 だもーん♪ うーん、まあまあ。 あ、でも、もっと立派な門もあるから! ということで(写真・上から2枚目)三門 だもーん♪ おお、これは立派。 それはそうと、こういう門って、どうして 「三門」 って言うんすかね? 山門なら、ああ、山の門なんやな。 肛門なら、ああ、肛の門なんやな。 何となく想像がつくんっすが 「三門」 。 そういえば肛門の “肛” って、どういう意味なんっすかね? 虫偏に “工” なら “虹” で、何ともロマンチックなんっすが、月偏に “工” 。 んーと、 これ 。 意味 : @ しりのあな。「肛門」 A はれる。ふくれる。 音読み : コウ、訓読み : しりのあなれる。 え、マジ? 「肛門」 以外に、まったく応用が効かないような漢字やったん? 「肛」 で 「しりのあな」 なら、「門」 、いらないじゃん! 一瞬、そんなふうに思ってしまったんっすが、あ、いや、いりますな。 「肛(しりのあな)」 だけでは垂れ流しになってしまうので、そこに 「門」 を設置して、制御するんっすよね。 せっかく、門で門番が頑張って、流出を食い止めようとしてくれているのに、それを無理やりにこじ開けようとする 「浣腸」 という行為は、許しがたい蛮行であると言わざるを得ませんが、あ、でもまあ、手術中に漏らされても困るし。 で、 三門三門 (さんもん) は、門の形式で、中央の大きな門と左右の小さな門との3門を連ねて1門としたものである。寺院によっては形式に関わらず 「三門」 と名付けられているものもある。山門とも呼ぶが、これは、寺院がもっぱら山林にあり山号を持つからという。 あ、なるほど。 言われてみれば確かに建長寺の三門は、中央の大きな門と左右の小さな門との3門を連ねて1門としたもの…なのかどうか、ちょっと微妙な気もするんっすが、寺院によっては形式に関わらず 「三門」 と名付けられているものもある。 こっちのほうのパターンっすな、多分。 三解脱門(さんげだつもん)の略かも知れないので、別に物理的に3門を連ねて1門としたものじゃなくても大丈夫だし、で、禅宗寺院の大寺には南大門にあたる総門と中門にあたる三門がみられ、うんぬん。 あ、建長寺はまさに、このパターンっすな。 んーと、 軽大豆 参照。 あ、「境内図」が、ちゃんと変換されない現象は、まだ解消されてないみたいなんっすが、 境内図 参照。 総門があって、三門があって、その後ろに (写真・ちょうど真ん中)仏殿 が、デデーン♪ ふーん、なかなか立派じゃん。 で、後は (写真・下から2番目)唐門 とか。 煌 (きら) びやかで、いいっすなぁ。 何でもいいけど、煌 (きら) びやかって、こんなウーロン茶みたいな漢字だったんっすな。 というか、「煌(きらめ)く」 と書く烏龍茶 煌「ファン」は、うんぬん。 ウーロン茶が、そっから名前を取ったんっすな。 で、烏龍茶って、よくよく見ると、烏 (カラス) と龍の茶っすよね。 烏(カラス)という字は、一本抜けてる鳥という感じの漢字で、ちょっと滑稽な感じがあるんっすが、烏骨鶏だと、そんな滑稽な感じはなかったりするし、とまあそんなこんなで、建長寺は、ま、大体こんな感じっすかね? あ、でも、境内図を見ると、 裏のほうにも何かあるっぽい? まだ時間に余裕がありそうだし、ちょっとそっちにも足を伸ばしてみますかね? 軽い気持ちで、(写真・いちばん下) の先へ行ってみることにしたんっすが、結果…


< 建長寺 (その2) > (←クリックすると写真ページに飛びます。)

 それが地獄の始まりでありました。 何じゃ、この階段は? どこまで続くんや? 極めて体力がない僕は、ゼェゼェ、ハアハア。 息を切らして、時折、立ち止まって、虚空を見つめて、・・・・・ 。 が、ここまで来たら、今さら引き返すワケにもいかないし、意地でも頂点を目指すしかないんっすが、するとやがて、(写真・上から2番目) 。 たくさんの天狗の姿が。 T・N・G! T・N・G! てんぐ!てんぐ!てんてんぐ♪ 流行らなかったっすよね、大河ドラマ 『いだてん』 の天狗倶楽部。 前々回 もリンクを貼ったんっすが、 これ 。 個人的に天狗って、愛嬌のある河童と比べると、何かあまり親近感を持てなかったりするんっすが、 鎌倉建長寺の半僧坊 。 (前略) 此の御堂に至る石段の傍らに、写真の様な鼻高天狗 (写真中央の最上段) や烏天狗の像が立っています。 わざわざ 「鼻高天狗」 と明記されているということは、鼻が低い天狗とかもいたりするんっすかね? それって存在意義、あるんか? そんな気がしないでもないんっすが、ひっくい鼻が色っぽいよ♪ …って、恋人なら言うかな 恋してくれそう、ね、バスボン♪ そう、 松本ちえこ が歌っていたし、そういう趣向の人がいるのかも知れません。 かく言う僕も、色っぽいかどうかは別にして、ひっくい鼻の女の子のほうが好きだったりするし、で、烏天狗。 あ、そうそう。 烏龍茶が、烏と龍の茶である件の考察が途中になってましたな。 「烏龍茶」 の名前の由来を教えてください茶葉が、烏のように黒 (黒褐色) く、龍のように曲がりくねっているため 「烏龍茶」 名づけられたというのが一般的な定説です。 へぇ〜、へぇ、へぇ〜。 「烏龍茶」名づけられた。 この片言の日本語が中国人っぽくっていいんっすが、「烏龍茶」 名づけられたアルよ。 で、天狗にもいろいろ種類があるんやな…と。 んーと、 天狗の種類とその正体! 何や、この絵? …というのは、とりあえず置いといて、また、天狗には 「大天狗」、「烏天狗(からすてんぐ)」、「木の葉天狗」という3つの種族が存在し、うんぬん。 あれ? 鼻高天狗は? 「俺って、ちょっと鼻が高いしぃ!」 と、鼻が高いことを鼻にかけて、鼻高々だった、あの鼻高天狗は? もしかしたら、アレっすかね? ひっくい鼻が色っぽいよ♪ …の人に、何か言われたとか? たっかい鼻が、キショいんじゃぁぁぁぁ! …と、罵倒されたとか。 罵倒されたショックで、馬頭観音になっちゃったとか? それはそれで、むしろ出世のような気がしないでもないんっすが、いずれにしろ、上のほうに天狗が見えるスポットに到着した時点で、ゴールは見えたな! …と。 てっぺんまで行ったところで、ちょっとしたお堂みたいなのがあるだけみたいだし、他に、天狗を間近で見られるくらいしかメリットが無さそうだし、ここで引き返そうかと。 でもまあ、せっかくここまで来たんだし、一応、てっぺんまでは昇っておこうかと。 で、気力を振り絞って、最後の階段を上りきると、・・・ 。 うぉぉぉぉぉぉ。 遠くに海がぁぁぁぁぁぁ! で、横のほうの展望台みたいなところに行ってみると、うぉぉぉぉぉぉ。富士山がぁぁぁぁぁ! おおおおおおおっ♪ 今までの苦労が、一挙に報われた思いがしました。 達成感、半端ねぇぇぇぇぇ!

 ということで、来た道を戻って、建長寺は、おしまい。 ちなみにこの階段、245段ほどあるらしいんっすが、いやあ、体力と気力がある、朝のうちにここに来ておいて、よかったっす。 最後のついでとかだったら、絶対にめげて、途中で引き返していたに違いありませんが、 烏天狗に、乾杯! …ということで、この続きはまた、次回☆

 んなことで、今日はユセフ・ラティーフっす。 うわ、微妙っすな…。 まず、テナー編で取り上げるのが微妙。 僕が自分で決めたルールとして 「その他の楽器編」 というのがあって、複数の楽器を演奏する、いわゆるマルチ・インストゥルメント・プレイヤーはそこで取り上げることにしているんっすが、そっちじゃね? そんな気がするんっすよね。 でもまあ、いっかぁ…と。 まったくテナーを吹いてないワケではないし、基本的にどうでもいい人だったりするしぃ。 この人、日本での知名度は、まあまあ、そこそこだったりするんっすが、致命的なくらい人気がなかったりしますよね。 不人気の要因はズバリ、変な東洋趣味に走ったりするところにあると思うんっすが、我々東洋人からすると、趣味、悪いな! …としか。 エキゾチック路線は元来、ウケがいい筈だし、オリエンタルのマースカレーも美味しいんっすが、この人の場合、何か違うんっすよね。 そういうアレなので、別に無理して取り上げなくていいような気もするんっすが、表面上のコレクションの充実度を高めるには、枯れ木も山の賑いと言うか、必要悪というか。 で、今回、ネタ用にかなりの枚数のアルバムを仕入れてみたんっすが、どれもこれも決定打に欠け、僕の執筆意欲を掻き立てるには力不足もいいところなんっすが、よくもまあ、自分ではまったく何の楽器も出来ない癖に、上から目線でそんなことを言えますよね、僕も。 エラそうなこと言ってるけど、君、楽器出来ないよね? 僕、一応、テナーサックスと、フルートと,オーボエ、イケるけど? そう、ラティーフに言われてしまうと、僕が何をほざこうと、 負け犬のオーボエ なんっすが、ボエ〜。 何か、言い負かされて悔しいので、こうなったら、糞つまらないアルバムを取り上げて、こき下ろして、憂さ晴らしをしてやるぅ!

 ということで、 『ザ・センタウル・アンド・ザ・フェニックス』 。 1960年のリバーサイド盤っす。 このレーベルにリーダー作を残しているイメージが皆無だったので、ちょっと意外な気がするんっすが、リチャード・ウイリアムスクラーク・テリーのラッパ、カーティス・フラーのボントロ、更にはテナー・サックスとバスーンなんかも入っていたりして、かなりの大所帯。 パーソネルにはケニー・バロンの名前も見えますが、ピアノを弾いているワケではなく、編曲を担当している模様。 じゃ、ピアノは誰が弾いているのかと思ったら、ジョー・ザビヌル。 ほぉ。 これまた意外な人選っすな。 で、ベースがベン・タッカーで、ドラムスがレックス・ハンフリーズ。 この辺りは堅実で、何か、面子を見た限りでは、ちょっと、よさ気な感じがしたりして、駄目じゃん! リバーサイドって、この手の変則編成の作品が割とあって、それが独自のカラーになっていたりするんっすが、基本、ハズレが極めて少ないレーベルっすよね。 駄目じゃん! 下手に出来がよかったりすると、真面目にレビューしなければならなくなっちゃうじゃん! ちなみに、今週の僕には時間がありません。 いつも同じ事を書いているような気がするんっすが、今週は特にありません。 いや、マジで。 元々、土曜日は仕事の予定が入っていたんっすよね。 何の仕事かというと、ポンプの塗装の監督業務。 排水機場の水中ポンプを引き上げて、工場でバラして、外側の胴体だけ現地に持って来て、外に仮置きして、塗装して、塗装が終わったら工場に持ち帰って、組み立てて、現地に搬入して、据え付ける。 そういう流れの工程で、塗装作業は月曜日からの予定だったんっすが、組立・据付担当の下請けさんの予定がパンパンなので、1日でも早く塗装を終わらせろ! …と。 仕方なく、土曜日から入ることにしたんっすが、月曜日は天気が悪そう。 工程を後ろに延ばすことは出来ないので、日曜日に塗れ! …と。 エエぇぇぇぇ…。 幸い、塗装の監督業務は、朝イチで塗装膜厚測定の記録を取ってしまえば、後は塗装作業中に数枚、完了後に数枚、写真を撮ればいいだけなので、その空き時間を有効活用して、昨日は現場でこの原稿の前半を途中まで書かせて貰ったんっすが、午後3時前には家に帰ることが出来たので、その続きを仕上げて、で、面倒なジャケ絵書きも先に片付けておいて。 で、日曜日の今日、現場でここまで書かせて貰ったんっすが、この先は家で実際に演奏を聞きながらじゃないと無理なので、塗装とか、適当でいいから、 早く終われ! そう、念じているところだったりして、

 んなことで、無事に帰宅。 わりと早く片付いて何よりなんっすが、とりあえずこれで目処は立ちましたな。 んなことで、1曲目、 「レヴェレーション」 。 ケニー・バロンのオリジナルなんっすが、暴露、発覚 〔暴露された〕新事実、驚くべきこと。 そういった意味があるらしいっす。 いいっすよね、暴露。 何か、露西亜 (ロシア) が暴れまくってるみたいで。 それって、全然よくないような気がしないでもないんっすが、暴露系YouTuber のガーシーとかもアレだったりするし。 が、この バロン作の「暴露・発覚」 は、いいっす。 少なくとも六角精児の1.333倍くらい八角親方な発覚だったりするんっすが、何やこの、テナー・サックス (新主流派・モードジャズ編) のお手本のようなオーソドックスな作風は? ピアノ・トリオによるイントロに続いて、ラティーフがテナーでモーダルなテーマを吹いて、で、そこに重厚なブラス&ホーンのアンサンブルが被さってくる…と。 で、そこからテナーのソロへと流れていくんっすが、フレーズはよく歌っているし、エモーショナルだし、スピリチュアルだし、ラティーフって普通に楽器、吹けるんや! …と、素直に感心してしまいました。 で、続いて、クラーク・テリーが登場。 フリューゲルホーンのソロっすな。 この人も実力の割に、日本では過小評価させているんっすが、ミックスナッツに入っているカシューナッツと同じくらい過小評価。 真に無能なのはジャイアントコーンで、かさ増し以外の何の役にも立ってなかったりするんっすが、カシューナッツは噛み締めると、わりとイケますよね。 ここでのテリーもなかなかに味わい深く、で、続いてホーン系の低音な楽器の人が登場。 バリトン・サックスっぽいんっすが、パーソナルにその記載はないし、もしかして、バスーン? だとすれば、なかなか使える楽器だったりするんっすが、で、続いて出てくるブラス系の低音な楽器は、おそらくカーティス・フラーのトロンボーン。 悪い筈がありません。 何か、3管ジャズ・メッセンジャーズっぽいっす。 で、その後、ジョー・ザビヌルのシンプルなピアノのソロが登場するんっすが、 あのザビヌル禿げな見た目からは想像出来ないようなリリカルさだったりして、でもって、重厚なテーマに戻って、おしまい。 エエやん! めっちゃエエやん! 良すぎて、駄目じゃん!

 で、次。 ラティーフのオリジナルで、 「アパシー」 。 今度はフルートが主体で、そこに他の管楽器が絡んでくる形で演奏が進められるんっすが、ぶっちゃけ小難しくって、変な曲。 ちょぴり晩年のエリック・ドルフィーっぽい雰囲気だったりもするんっすが、で、ソロ先発はラティーフのフルート。 ここまで来ると、わりと普通な感じになってくるんっすが、随所で管楽器が絡んでくる辺り、アレンジャーのケニー・バロンの腕の見せ所かと。 個人的にはアレンジャーのケニー・バロンの腕なんかより、ゴレンジャーのモモレンジャーの太股とかを見たい気がするんっすが、モモレンジャーの 「モモ」 は 「桃」 ではなく、モモレンジャー役の小牧リサの太ももから 「モモレンジャー」 になった。 わりと有名な “都市伝説” っすよね。 どれどれ。 ほれ 。おお、なるほど。 個人的にはこの動画、悪役たちの 「ほい、ほい、ほいっ♪」 という掛け声(?)が気になって、今ひとつ太股に集中出来ないのが残念なんっすが、で、続いてラッパらしき人のソロが登場。 リチャード・ウィリアムスっすかね? 悪くないと思います。 で、続いて、クラーク・テリーのフリューゲル? で、tp → flh → tp → flh の掛け合いがあって、その後、テナーサックスらしき人が登場。 ラティーフがフルートから持ち替えたのか、あるいはもうひとりのテイト・ヒューストンという人なのか。 で、ジョセア・テイラーとかいう人のバスーンらしきものが登場して、でもって、テーマに戻って、おしまい。 アドリブ・パートは悪くないだけに、テーマの変な曲調と、懲りすぎた編曲が、ちょっと残念…。

 で、次。 「エブリ・デイ (アイ・フォール・イン・ラブ)」 。 ラティーフがあの顔で、「毎日 (恋に落ちちゃった) 」 と言ってる場面を想像すると、かなりキツいんっすが、大丈夫っす。 Sammy Fainと Irving Kahal という人が作った歌物スタンダードっす。 重厚な管楽器のアンサンブルが心に響く、珠玉のバラードっす。 ラティーフはオーボエを吹いてるっぽい? パーソネルを見ると、もうひとつ、(arghul) という謎楽器の名前もあるんっすが、んーと、 これ 。 あ、ラティーフが買っちゃったから、売り切れになってるじゃん。 ま、この店で買ったかどうかは定かではないんっすが、で、途中からはフルートに持ち替えたっぽくて、ソロ・パートもフルートによるものだったりするんっすが、けれん味がなくて、リリカルで、普通にいいっすな。 で、その後、フラーのトロンボーンが出て来て、再びフルートが出て来て、管楽器のアンサンブルと絡んで、最後はピアノで綺麗に締めて、でもって、オーボエ (?) 主導のテーマに戻って、おしまい。 オーソドックスで、分かりやすくて、よかったな♪ …と。

 んなことで、次。 アルバム・タイトル曲の 「ザ・センタウル・アンド・ザ・フェニックス」 。 “CENTAUR” って何かと思ったら、ケンタウロス。 あ、なるほど。 そう言えばジャケットの左上のほうにいますよね。 半人半馬の種族っすよね。 で、 “Phoenix” のほうは、不死鳥。 あ、なるほど。 こっちはジャケットの右上にいますな。 で、これ、意欲作なのは認めますが、その意欲が空回りしまくった失敗作だったりして、こんなことなら意欲作より、松本伊代臭いほうがよかったな…と。 いや、伊代、臭くないし! …と、伊代ちゃんから文句を言われそうなんっすが、で、これ、ラティーフのオリジナルなのかと思ったらそうではなく、作曲者として Charles Mills という名前がクレジットされてます。 どういう人なのか、寡聞にしてよく分からんのっすが、この曲を聞く限り、あまり作曲のセンスは、ねぇな…と。 クラシックっぽいというか、バロック的というか、ちょっぴりチャールス・ミンガスっぽい諧謔さが感じられたりもするんっすが、とにかくまあ、 曲が変だし、演奏も変。 とかく “保守的” と評される僕には受け入れがたい世界観だったりして、いやあ、 “意欲作” っすなぁ、こりゃ…。 基本、集団即興演奏っぽくて、賑やかで、よくわかんなくて、で、「わかんない」 と言えば子供の頃、和漢薬というのが、わかんなかったりしたんっすが、とまあそんなこんなで、おしまい。

 で、次。 ラティーフのオリジナルで 「イクバル」 。 最近、「街バル」 というのが流行 (はやり) だったりして、行くバル? …と言われると、行ったことないバル。 …というのが実情なんっすが、ひとり「街バル」って、ハードルが高過ぎますよね。 まだ、ひとり 「まち針」 のほうが、ひとりで裁縫すればいいだけなので、気楽そうに思えるんっすが、で、この 「イクバル」 はというと、悲哀感が半端ないバラードでありますな。 特に冒頭のザビヌルのピアノが落涙モノだったりするんっすが、その後、たくさん楽器が出てくるので、多少は賑やかになります。 ラティーフの持ち楽器は、オーボエっすかね? ボエーっとした音色が、心に染みるな…っと。 で、ソロ・パートは、泣きのザビヌル、泣きのリチャード・ウィリアムス、泣きのカーティス・フラー。 みんな泣いているんっすが、恐らくこの順番なのではなかろうかと。 で、以下、バスーン、オーボエっすかね? というか、テーマに戻った感じっすかね? でもって、おしまい。

 で、次。 「サマー・ソング」 。 作曲者が、あの変なタイトル曲を書いた人っぽいので、要注意なんっすが、大丈夫でした。 フルート主体の綺麗なメロディ。 やれば出来るじゃん、チャールス・ミルズ! 演奏のほうは、ゆったりとしたテンポで、丁々発止のアドリブ合戦…からはほど遠く、ちょっぴり退屈な感は否めませんが、ま、意味が分からなくて、聞いてるだけで疲れるよりは、いいよな…と。 ということで、ラストっす。 ラティーフのオリジナルで、 「ザ・フィランソロピスト」 「ザ・慈善家、博愛主義者」 っすか。 ラティーフはテナーを吹いてます。 テナーサックス編として取り上げるには、真っ当な選択だと思います。 演奏のほうは、ゆったりとしたテンポで、丁々発止のアドリブ合戦…からはほど遠く、ちょっぴり退屈な感は否めませんが、ま、意味が分からなくて、聞いてるだけで疲れるよりは、以下略。 とまあそんなことで、終盤は何だか今ひとつ盛り上がりませんでしたが、今日のところは、おしまい。

【総合評価】 1曲目が素晴らし過ぎます。 思わず、ユセフ・ラティーフを再評価しちゃいそうになってしまいましたが、ちょっと待ったぁ! その判断、全曲を聞き終えてからにしたほうが…。 で、その結果、4曲目が変過ぎぃ…。 2曲目もたいがいアレなんっすが、でもまあ、ソロ・パートは聞けなくもないし、とりあえずのところ、タイトル曲がアレ過ぎて、全体のイメージを激しく損ねてしまっているな…っと。 で、ぶっちゃけ、終盤は退屈だし、4曲目以降は捨ててもいいような? 極論すれば、最初の1曲だけ聞けばいいような? そうすれば、ラティーフ、意外とイケるやん♪ そんな好印象を持ったまま、この先の人生を送ることが出来て、みんなハッピー♪


INDEX
BACK NEXT