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臼(うす)。 年末の餅つき大会か、猿蟹合戦か、うーっす。 体育会系の挨拶くらいしか活躍の場がないんっすが、猿蟹合戦では大活躍でしたよね。 まさにラスボス級の働き。 が、アレってちょっと、やり過ぎじゃないっすかね? 猿が蟹にやったことって、蟹を騙した。 自分は甘い柿ばかりを食べて、蟹には渋柿を投げてよこした。 その2点っすよね? 確かに、いけずで嫌なヤツなんっすが、石臼で押しつぶされる程のことでは? 目には目を、歯には歯を。 ハンムラビ法典って、とんでもない復讐法みたいに思われていたりするんっすが、自分がやられた以上の事を、仕返しでやってはいけない。 至極、真っ当で平等な取り決めだったりします。 やられたらやり返す、倍返しだ! 半沢直樹 は明らかに、やり過ぎです。 倍返しなんかしたら、4倍返されるかもしれず、やられたらやり返す、8倍返しだ! 8倍返しなんかしたら、16倍返されるかもしれず、やられたらやり返す、32倍返しだ! 32倍返しなんかしたら、(後略)。 バイバイン の悲劇、再び。 栗まんじゅう問題 。 質量保存の法則。 そうそう。 僕は理系人間なので、真っ先にこの言葉が思い浮かびました。 が、本当にユーモアの欠片もないクソ真面目な理論で、途中から着いていけなくなりました。 この問題はとりあえずこれで終わりにしましょう。 「猿蟹合戦」 っす。 改めて、どういうお話なのか復讐…、いや、復習したいと思いますが、Wikipedia 。 ずる賢い猿が蟹を騙して殺害し、殺された蟹の子供に仕返しされるという話である。 え? 蟹って、殺されたんだっけ? となると、決して「やり過ぎ」とは言えなくて、今までの話は何だったんだ? そういう、極めてマズい展開になってしまうので、この一文は見なかったことにして。 とりあえず小さめの文字サイズで、読みにくいフォントカラーにしておきますが、蟹がおにぎりを持って歩いていると、ずる賢い猿が、拾った柿の種と交換しようと言ってきた。蟹は最初は嫌がったが、「おにぎりは食べてしまえばそれっきりだが、柿の種を植えれば成長して柿がたくさんなりずっと得する」と猿が言ったので、蟹はおにぎりと柿の種を交換した。 最初の問題点は、ここ。 猿に脅されて、おにぎりと柿の種を強制的に取り替えさせられたのであれば、猿が全面的に悪いんっすが、これを読む限り、猿に論破されて、納得の上で取り替えたようにも見えますよね。 蟹は (しぶしぶ) おにぎりと柿の種を交換した。 この (しぶしぶ) が入るかどうかで、話の印象が随分と変わって来ます。 もし、猿の話を聞いて、「言われてみれば、確かにそうかぁ。」と納得したんだったら、のび太 と同レベル。 むじゃきというか、お人よしというか…。 いや、お人よしというか、お蟹よしというか。 「世の中うそだらけ」 。 ジャイアンの詭弁と違って、猿の言ってることは、それなりに理に適っているので、蟹が一概にアホだとは言い切れないんっすが、蟹はさっそく家に帰って 「早く芽をだせ柿の種、出さなきゃ鋏でちょん切るぞ」 と歌いながらその種を植えた。 2つめの問題点は、ここ。 明らかにパワハラっすよね。 脅し、強要、もってのほか。 そもそも蟹、分かってるんっすかね? 柿の種が芽を出したところで、実が成るのはずーっと先っすぜ? 桃栗三年、柿八年、串打ち三年、裂き八年、焼き一生。 柿の実が成るのは8年後っすぜ? 焼きに関しては、一生っすぜ? ま、鰻のほうはどうでもいいんっすが、蟹、自分の寿命がどれくらいか、分かってるん? 僕は分からないので調べてみたんっすが、かにの寿命何年なの 。 (前略) 一般的に食卓にのぼるズワイガニやタラバガニはだいたい 10年前後 生きるといわれています。 小さめのワタリガニやガザミなどは 数年(3〜4年ほど)と短めです。 一方で、深海にすむ種類やオオカミガニのように大きく成長するかには、20年近く生きると考えられているものもいます。 あ、意外と長生きなんっすな。 猿蟹合戦の蟹が何ガニなのか分かりませんが、8年後とか、蟹、死んでるやん! …という方向に話を進める予定だったのに、当てが外れました。
そして、8年の月日が流れ去り〜♪ この部分は 「ルビーの指輪」 の節で歌ってください。 歌いにくいやん! …と思われるかもしれませんが、2年で実をつけない柿が悪いのであって、僕に非はありません。 とにかくまあ、種が成長して柿がたくさんなると、そこへやって来た猿は、木に登れない蟹の代わりに自分が採ってやると言う。しかし、猿は木に登ったまま自分ばかりが柿の実を食べ、蟹が催促すると、まだ熟していない青くて硬い柿の実を蟹に執拗に投げつけた。硬い柿をぶつけられた蟹はそのショックで子供を産むと死んでしまった。 都合の悪い記述は、再び読みにくくしておきましたが、あ、蟹、堅い柿をぶつけられてショック死しちゃったんっすな。 3つめの問題点は、ここ。 ショック死は、ま、いいとして( ← よくない)、 蟹はそのショックで子供を産むと。 この記述だと、お母さん蟹が死ぬ前に、子蟹がワラワラと産まれてきたように思えてしまうんっすが、蟹って胎生だっけ? 卵産むん、ちゃうん? 忘年会にも出て来た内子だか外子って、あれ、蟹の卵ちゃうん? キモくて迷惑だったので、もし蟹が胎生だったら、忘年会に内子だか外子だかが出てくることはなく、個人的には有り難いんっすが、その替わりに小さな子蟹を出されても、ぜんぜん嬉しくはないんっすけど。
ま、卵を産むことを、「子供を産む」と表現したのかも知れませんが、卵が孵って子蟹になって、カンカンに怒った子蟹達は親の敵を討つために、猿の意地悪に困っていた栗と臼と蜂と牛糞を家に呼び寄せて敵討ちを計画する。 日本昔話史上、もっともよく分からんチームの結成っすよね。 栗と蜂は、ま、一応は生物( “なまもの” ではなく、 “いきもの” )なので、分からんでもないんっすが、臼と牛糞って…。 牛糞が、猿にどんな意地悪をされたんっすかね? 「やーいやーい、牛糞、お前の母ちゃん、バフンウニ!」 と、馬鹿にされたとか? 「バフンちゃうわ! ギュウフンや!」 牛糞が憤慨するのも分からんではないんっすが、親を殺された子蟹達と比べると、ちょっと動機が弱い気がしないでもありません。 母蟹に対する猿の行為は、業務上過失致死罪に相当しますよね。 殺人罪が適用されるかどうかは微妙なところなんっすが、まだ熟していない青くて硬い柿の実を蟹に執拗に投げた結果、それが蟹に当たって、命を落としたとしても、やむを得ない。 その認識が猿にあったかどうか。 いわゆる “未必の故意” が争点となってきます。 いいっすよね、未必の故意。 この言葉を知ると、ついつい使いたくなっちゃいます。 ちょっぴり “密室の恋” っぽいところもポイントが高いんっすが、相手が小さめのワタリガニやガザミであれば、もし柿が急所に当たったりしたら、死んじゃうかもしれない。 そんな意識を持てたかも知れませんが、少なくとも柿の実が成るまでは生きていた蟹なので、一般的に食卓にのぼるズワイガニやタラバガニであったものと思われます。 柿をぶつけられたくらいで、死ぬか? 甲羅、めっちゃ硬いし。 「まさか死ぬとは思わなかった。」 そう主張して、減刑を求める方針で行こう。 弁護士サイドは当然、そう考える筈です。 殺人罪は難しそう。 というか、無理じゃね? うちの親って、「人(ひと)」じゃなくて、「蟹(かに)」だし…。 子蟹達はそう考える訳です。 司法に委ねるのは、生ぬるい。 ここはもう、自分達で復讐しなければ! で、例のチームが結成されるワケでありますな。 その結果。
猿の留守中に家へ忍び寄り、栗は囲炉裏の中に隠れ、蜂は水桶の中に隠れ、牛糞は土間に隠れ、臼は屋根に隠れた。そして猿が家に戻って来て囲炉裏で身体を暖めようとすると、熱々に焼けた栗が体当たりをして猿は火傷を負い、急いで水で冷やそうと水桶に近づくと今度は蜂に刺され、吃驚して家から逃げようとした際に、出入口で待っていた牛の糞に滑り転倒する。最後に屋根から落ちてきた臼に潰されて猿は死に、子蟹達は見事に親の敵を討ったのだった。 流れるような連携プレイ。 お見事! が、心のどこかに、少し引っ掛かるものがあるのも事実。 最後、臼でドスン! …って、残酷じゃね? もうちょっと人道的…というか、猿道的な処刑方法があったのでは? そんな気がしてしまうんっすが、とまあそんなこんなで、今日の話題は「臼杵(うすき)に行った」。 臼(うす)と杵(きね)。 まさに、年末の餅つき大会の為にあるような町なんっすが、その前に( 前回 までの粗筋) 津久見で昼飯を食べることにした。 わざわざ予約を入れたのに、「は? 予約…?」 みたいな態度を取られて、ナイーブな僕の心(ハート)が、とっても傷付いた。 ま、いいんっすけどね。 予約を入れておかないと、一人で店に入ることが出来ない小心者(ヘタレ)なんで…。 その店というのが こちら 。 忘年会が海鮮の店で、食べたいものが半分くらいしか無かった。 …と、ぶつくさ文句を言ってた割には、海鮮系のお店。 この辺で、ネットで即時予約の出来る店がここしかなかったから、しょうがないじゃん! ま、海鮮でも刺身系とか、揚げてある系はぜんぜんイケるので、大丈夫なんじゃね? そういう判断であります。 メニュー写真は こちら 。 津久見はマグロが有名らしいので、本まぐろ漬け丼とか、ひゅうが丼 にも惹かれたんっすが、無難なところで、
城下町臼杵を巡る定番コースは こちら 。 まず最初に、二王座歴史の道・旧真光寺 を目指すことにしました。 二王座は、阿蘇山の火山灰が固まってできた凝灰岩の丘で、あちこちの岩を削り取って道を通しました。 特に、旧真光寺の前は「切り通し」と呼ばれる、臼杵を代表する景観のひとつで、平成5年11月には国の都市景観100選にも選ばれています。辻から入ると上級武士の武家屋敷が立ち並び、田町側から登っていくと、多くの寺が集まっています。この地域にかつて春日局も住んでいたとか。 阿蘇山の火山灰がこんなところまで。 “700万人瞬殺” の悲劇を防げ──阿蘇山・カルデラ噴火の恐ろしさ 。 うわ…。 大分県どころの騒ぎではなさそうなんすが、ま、瞬殺なら、あまり苦しまずに死ねそうで、いいかも? 桑名の辺りは中途半端に苦しみそうなんっすが、ま、それはともかく。 二王座付近は、狭い路地のいたるところにどっしりとした量感溢れる門構えの武家屋敷跡、白壁の土蔵や宗派の異なる歴史ある寺院が軒を連ね、城下町特有の面影を残した地域です。中でも、廃寺を改修し無料休憩所として開放されていてる旧真光寺の2階から眺める二王座の風景は多くの旅人に安らぎを与えています。(写真・上から2枚目) っすな。 いやあ、ここはよかったっす。 中もなかなか興味深い構造になっていたし、無料(ただ)というのがまた、素晴らしい! 古い町並みにはお洒落カフェなんかもあったりして、で、続いては 臼杵城跡 のほうへ。
丹生島城・亀城とも呼ばれていた城跡です。 キリシタン大名として有名な大友宗麟の居城だったため、石垣にはアルファベットの様な文字が刻まれ、城内には礼拝所が、城下にはキリシタンの修練所があったそうです。築城当時は丹生嶋と呼ばれる孤島上の城郭で、周囲の海が天然の要害となり、堅固な守りを誇っていました。 へぇ〜、 キリシタン大名っすかぁ。 僕は四日市の海星高校というカトリック系の学校に通っていたんっすが、桑名高校(くわこう)、落ちたんで…。 この学校の生徒達は、教室の前に飾られたマリア様の肖像画や、十字架に磔(はりつけ)になったイエス様の像に丸めた紙くずを投げつけたり、スペインからやって来た神父様に向かって「ラカラ、スペインへ帰れ!」 などと暴言を吐いたり。 いや、暴言を吐いたワケではないっすな。 教室の黒板に暴言を書いただけで、可愛いものなんっすが、そのように罰当たりな行動ばかりとって、キリスト教の布教には、まったく何の役にも立っていなかったんっすが、大分の地にはキリシタン大名が出没するほど、根付いたんっすな。 よかったじゃん! で、築城当時は丹生嶋と呼ばれる孤島上の城郭で、周囲の海が天然の要害となり、うんぬん。 今もこの状況だったら、もっとメジャーな観光スポットになっていたんでしょうな。 惜しい! 今も櫓らしきものはあるし、高台みたいなところにあるので、そこそこ眺めもいいし、神社もあったりするし、 “城跡” にしては、まあまあ見所があったな…と。 で、(写真・いちばん下) 。 行ってもないのに、何故こんな写真が!? あ、これ、駅前にあった “磨崖仏のまがい物” っすな。 本物はもっと大きいんっすかね? んーと、これ 。 大きさはよく分からんのっすが、(前略)現在は61体すべての磨崖仏が国宝に指定されています。 あ、そんなに数、あるんっすか。 しかも全て国のお宝。 凄ぇぇぇぇ! ちょっと無理してでも見に行くべきでしたかね? ま、それはそうと。 国宝杵石仏では、稲葉家下屋敷との共通セット券を販売しています。 ああああああああ!! 本名が稲葉くんの僕、この屋敷には絶対に行かねば! 行く前は、そう思っていたのに、すっかり忘れていたぁぁぁぁぁ! あ、でも。 江戸時代の建物ではありません 。 『江戸時代末期の上級武家屋敷の建築様式を色濃くとどめており、2008年に「稲葉家別邸」として国登録有形文化財となった。』とあるので、てっきり江戸時代に建てられたものと思い込んでいたら、1902年建築と知って、事前に情報を正しく収集しなかった自分が悪いのか。しかし、内部の説明は何もなくて不愛想なのに入場料310円は高い。隣にひっそりと建っていた武士屋敷の旧平井家住宅は、江戸時代の1859年に建てられたものであるというのが、せめてもの救いであった。 え、そうなん? 310円が高いと感じる男性/60代というのも、ちょっとどうかという気がするんっすが、不愛想なのに。 ここがポイントっすよね。 もうちょっと愛想がよければ、 悲しみの青春さんも310円が高いとは感じなかったんでしょうが、そうっすか。 無愛想なんっすか。 行かなくて正解。 べっ、別に、悔しくなんかないし!
んなことで、臼杵を後にして、特急で大分駅に向かうことにしたんっすが、駅には こんな看板 が。 串打ち三年、裂き八年、焼き一生。 鰻、好き。 「うざく」とか「う巻き」も、まあまあ好き。 う好き♪ んなことで、この続きはまた、次回(はあと)
んなことで今日はKANKAWAっす。 オルガン編も遂に外国人材のネタが尽きたので、今日から日本人編になります。 KANKAWAって、日本人なんか? …と思われるかもしれませんが、 ほれ 。 KANKAWA(寒川敏彦、BLUE SMITH)は、日本のジャズ・オルガン・プレイヤー。 バリバリ、日本人っす。 日本のジャズ事情にはまったく疎い僕なんっすが、日本人のジャズ・オルガンと言えば、「かんかわ何とか」やろ? それくらいの知識はあったので調べてみたら、今はこんな名前を名乗っているんっすな。 2008年からはBLUE SMITH名義でも活動。 これまた恥ずかしいお名前なんっすが、テレビ番組『11PM』の番組中の演奏を担当し、ジャズ・オルガン・プレイヤーとして本格的にデビューを果たす。 へぇ〜。 『11PM』 のエロいコーナーは若かりし頃、親の目を盗んで、ドキドキしながら見た記憶があるんっすが、シャバダバ、シャバダバ〜♪ これは違うっすよね? で、第一回マウントフジ・ジャズ・フェスティバル出演後に渡米し、ジャズ・オルガン・プレイヤーである、ジミー・スミスに師事。 だから、BLUE SMITHなどという、恥ずかしい名前を思いついちゃったんっすな。 ま、しゃあないっす。 で、今日はそんなKANKAWAの 『オルガニスト』 というアルバムを取り上げてみたいと思うんっすが、そのまんま。 2010年に録音だか、販売だかされた1枚なんっすが、“藝術を生み出す”というテーマを掲げて新たに立ち上げられたT-TOC JAZZ 7シリーズ。その第一作となるのは、ジミー・スミスの愛弟子、オルガンの巨匠 「KANKAWA」による、待望のリーダー作。ストレート・アヘッドなジャズ作品はおよそ4年ぶりで、メロディの美しいバラードナンバーを中心に収録。これまでアグレッシヴの印象の強いKANAWAから一転、“静”のKANKAWAを聴く事が出来る。 “音” に拘ってるみたいっす。 芸術ではなく、藝術っすからね。 で、ストレート・アヘッドなジャズ作品はおよそ4年ぶりなんっすか。 曲がった方向に逸れちゃってたみたいなんっすが、メロディの美しいバラードナンバーを中心に収録。 ぶっちゃけ、退屈そうな気がしないでもないんっすが、とりあえず聞いてみましょう。
まずは1曲目、 「プロローグ」 。 これはアレっすな。 詩歌・小説・戯曲などの文学作品で、本筋の展開に先だつ前置きの部分。序章。 オルガンの無伴奏ソロなんっすが、荘厳で、いかにもオルガンらしい重厚な響き。 が、ジャズっぽくはないっすな。 教会で流れてそう。 でもって、1分20秒で終わり。 序奏でした。 で、次。 「ディア・マイセルフ」 。 カンカワくんのオリジナルみたいなんっすが、「親愛なる自分自身」。 自分、大好き? 僕は自分よりも、ザボンのほうが好きなんっすが、別府銘菓 ざぼん漬 。 今回、大分に遊びに行って、お土産に買ってこなかったんっすが、ま、その程度の「好き」なんっすよね。 ザボンよりもズボンのほうが好き。 ズボンよりもパンツのほうが、断然好きっ♪ ここでいうパンツは、いわゆるズボンの事ではなく、「おぱんつ」のほうなんっすが、ザボンにすら負けるくらいなので、自分、 “自分” はあまり好きではないっす。 が、自己愛の塊のカンカワくん、何とも泣ける曲を自分に贈っちゃいましたな。 厳かなベースのピチカートで始まり、そこにスパニッシュな雰囲気のギターが入り、更には オルガンとドラムスが加わるという、そうアレなんっすが、“静”のKANKAWA、ここに極まり。 が、まだ始まって2曲目なので、まだ耐えられます。 哀愁味に溢れていて、切ないっす。 百均のハサミ? いや、切れないんじゃなくて、切(せつ)ない。 100均のハサミは切れ味が悪いんでしょうか? 100円ショップのハサミは種類が多く、一概に切れる切れないは言えないと思いますが、そんなに切れ味の悪いものに当たったことはないです。 最近の百均は品質が向上しているっぽいっすな。 何よりっす。
で、次。 「レフト・アローン」 。 日本人が大好きな曲を持って来ましたな。 誰が何と言おうと、マクリーンの 泣きのアルト なんっすが、こんな陰キャの極みのようなジャズって、なかなか無いっすよね。 で、カンカワ版のほうはアレっす。 厳かなベースのピチカートで始まり、そこに静かにオルガンが加わって、マクリーンとは一味違った “泣き” を聞かせてくれます。 オルガンに続いて、ベースのソロも堪能することが出来て、オーディオ・マニアは、たまらんっ♪ そういうアレでありますな。 低音がビンビン響いて、ナンボっすからね。 その後、ギターのソロもフィーチャーされて、でもって、ベースが主導するテーマに戻って、おしまい。 いやあ、暗いっすなぁ…。 で、次。 「ソフトリー・アズ・イン・ア・モーニング・サンライズ」 。 日本ではもっぱら 「朝日のように爽やかに」 という邦題で知られているんっすが、これまた日本人が大好きな曲を持って来ましたな。 僕も「ミスティ」と「朝さわ」からこの世界に入ったようなものなんっすが、ここでは日本人とエロいギャルに人気のヴァイブなんかも入れちゃったりして、より一層、妖しげな世界を展開しちゃってます。 が、途中からバスクラ(?)が入って来て、ちょっと微妙な空気に…。 ソロ先発はヴァイブなので、ここで再び妖しさを取り戻すことが出来るんっすが、都会派アーバンでクールな響きが、たまらんっ♪ が、その後、明らかにバスクラなソロが出て来て、うーん…。 普通にテナーサックスでいいのに、何故わざわざ、奇を衒った楽器を? で、続いてカンカワくんのオルガン・ソロがフィーチャーされるんっすが、スローなテンポなりに、それなりに “動” で、いいと思います。 でもって、テーマに戻って、おしまい。 好きな曲だけに、もっと普通にやって欲しかった。 超保守派の僕は、ちょっと残念…。
で、次。 「ア・ナイト・イン・チュニジア」 。 並び建つ、内藤医院、忠実屋 。 関サバ師匠、渾身の一句が思い浮かびますな。 関サバの故郷、大分県の佐賀関は大火事で大変なことになっちゃいましたが、関サバ師匠、ご健勝っすかね? 腱鞘炎とか、なってませんか? で、これ、“静”のKANKAWAにはなりそうにもない楽曲なので、安心モードなんっすが、出だし、スローで陰気臭くて、嫌な予感が…。 しばし、オルガンの無伴奏ソロが繰り広げられるんっすが、そうこうしていると、テナーサックスの人、登場。 ジェームス・マホーネっすか。 外人サンっすな。 決して、日本人を下に見る気はないんっすが、ちょっと期待♪ が、さほど、はっちゃける感がないまま出番が終わってしまって、小難しいオルガン・ソロにスイッチ。 ここでようやく「チュニ夜」 らしいメロディが出て来そうになるんっすが、テンポはスローなままで、続いてテナーとオルガンの絡みのようなパートが始まって、おっ! ここでようやく、明快なテーマが登場。 随分と焦らしてくれましたな。 で、先ほどよりはアグレッシブなテナーのソロがフィーチャーされて、続いてオルガンのソロが出て来て、「ううーっ!」 カンカワくん、何か唸っちゃってます。 で、テナーによるテーマに戻って、おしまい。 10分36秒、なかなかの大作だったんっすが、根は陽キャな曲の筈なのに、変に凝り過ぎていて、超保守派の僕には、ちょっと微妙…。
で、次。 「ミスティ」 。 おっ♪ 選曲はいいんっすよね。 後はそれを、どう料理してくれるか…なんっすが。 おっ! これ、普通にいいっすな。 オルガンがいい味、出してます。 しみじみとしたバラードで、“静”のKANKAWAを堪能することが出来ます。 途中からテナーの人が出てくるんっすが、別段、そんなに足を引っ張るワケでもなく、大丈夫。 悪くはないっす。 が、9分19秒。 途中でちょっと飽きます。 せっかく外人さんを外国から呼んだんだから、目一杯働いて貰おう。 その気持ち、分からんでもなんっすが、過ぎたるは及ばざるがごとし。 そう、杉田かおると猿が言ってました。 見ざる・聞かざる・言わざる・及ばざる。 バザールでござーる 。 計6猿っすな。 ござーるなのに6猿。 おかしいんじゃね? じゃ、「及ばざる」は、クビで。 いや、「バザールでござーる」 で1匹だから、問題ないじゃん! そんな異議申し立てが「及ばざる」サイドから出されたみたいなんっすが、じゃ、「及ばざる」の替わりに「天ざる」を入れるということで。 天麩羅と、ざる蕎麦。 美味いっすよね。 …とか言ってるうちに、外人さんは引っ込んで、オルガンのソロが始まりました。 背後でタイコの音が聞こえるんっすが、小山太郎という純然たる日本人か、グレッグ・バンディという外人さんか、どちらが叩いているのかは不明っす。 でもって、オルガン主導のテーマに戻って、おしまい。 無駄に長過ぎる以外は、ま、悪くはなかったな…と。
で、次。 「サテン・ドール」 。 これまた日本人好みの楽曲を持ってきましたな。 選曲してるの、日本人なんじゃね? そんな疑惑が浮かび上がってしまうんっすが、演奏のほうはアレっす。 またしてもテナーの人が…。 決して外国人を差別するワケではないんっすが、ぶっちゃけ、いらんような? イラン人とか、いらん事しかしないっすぜ? テレホンカードの偽造とか。( ← 偏見。) ま、ジェームス・マホーネはイラン人ではなさそうなので、その点では大丈夫なのかも知れませんが、前曲に引き続いてスローなバラード。 しかも11分12秒。 辛いっす…。 で、次。 「ブルー・ボッサ」 。 これまた(以下略)。 またしてもテナーの人(以下略)。 ま、バラードではないので、ぜんぜんイケるんっすが、今まで散々イラン人扱いされていたマホーネくん、ここでは熱いブロウをカマしてくれて、それに触発されたカンカワくんもアグレッシブなソロを聞かせ、で、その後、タイコとの絡みとかがあって、大いに盛り上がって、でもって、テーマに戻って、おしまい。 こういうのなら8分13秒でも、ぜんぜん大丈夫っすな。
んなことで、ラスト。 「ポーツグエーセ・ソウル」 。 読み方は間違いなく、間違っていると思うんっすが、PORTUGUESE = ポルトガル人、ポルトガル語。 英語の発音インフォ 。 ポォー(ル)チュギィーズ。 そう、読むんっすな。 もう、ポルガル人ってば、ポールちゅぎぃ!(ポール過ぎぃ!)ズ。 そう、覚えておくといいかも知れません。 で、演奏のほうはアレっす。 冒頭の「プロローグ」と対をなす「エピローグ」って感じ。 オルガンの無伴奏ソロなんっすが、荘厳で、いかにもオルガンらしい重厚な響き。 が、ジャズっぽくはないっすな。 教会で流れてそう。 4分42秒ほど粘って、でもって、今日のところは以上っす。
【総合評価】 出だしの3曲目くらいまでは、地味ながらもいい感じに聞けたんっすが、バスクラや外人さんのテナーが出て来て、ちょっと微妙に…。 長尺バラード2連発は、さすがにちょっと辛いものがあったんっすが、「ブルー・ボッサ」で復活を遂げ、で、最後の1曲は、ま、いっかぁ…と。 基本、“静”のKANKAWAは看過していいような気がしないでもなく、もうちょっと“動”のKANKAWAを聞いてみたかった。 そんな気がしないでもない 伊集院健 でありました。